【日々雑記】お葬式よりミサがすき。

50歳が近くなって、死について考える。2022年は、近しい人たちの親が相次いで亡くなった年だった。いよいよ、親が亡くなる年齢になっている。
誰もが絶対に死ぬのだから、自分も最低限の健康には気を付けつつ、来たる死には寛容でいたい。

仏教ではお葬式は、ザ・沈痛の一言に感じる。ひたすらさめざめ悲しむってかんじだけど、キリスト教のミサだと神様のもとへ魂がお帰りなる!ってかんじで、まさにネロとパトラッシュが教会で♪ワ〜ッて美しいコーラスをバックに、ステンドグラスの高い窓から降り注ぐ七色の光の道を、天使とともにキラキラと昇っていく様がそこに見えるようで、明るくお見送りできる感がかなりある。沈痛感が一切ない。(フランダースの犬のつらすぎるストーリーはいったんおいといて)

夫の父が亡くなったときは、病床で洗礼を受け、ミサで見送った。カラフルなお花、きれいな水色の棺、横たわる夫父は生前愛用していたというジャケットとパンツのセットアップ姿。中折れハットと革靴も添えられたこなれたスタイルで、その「いつも通り感」に静かに感動した。

わたしがこれまで目にしてきたお葬式には色がない。白と黒のなかに、あって菊の黄色。棺の中はどうだったっけ…白い着物だっけか…なんならおでこに三角のやつとか付いてるイメージすらあって、明らかにすでに「お化け」感がすごい。(失礼)
もう、生前一緒にいた感が、そこにはない。なんか、死んで、別の人に、別のものに、なってしまったかんじ。それが、ミサにはなかったな。
みんなで歌とか唄って、パンとぶどう酒モチーフのものとかもらったりして、何を言ってるか・意味してるかわからない有り難いお経ではなく、神父さんが日本語で優しく語りかける、分かりやすいことばがあって。すぐにスッと、胸に届くことばがあって。

姉はミサというものに興味津々で、マシューが死んだときみたいな??あたしも行きたいな!不謹慎かもだけど。と、赤毛のアンの世界を体感したがっていた。いや、まさにマシューだったな。いつもの服装。帽子に靴。天国に行っても、自分らしいその恰好でまた過ごせるように。死んでも、棺の中に入っていても、あなたはあなたのまま。

葬儀における仏教とキリスト教の大きな違いは、死に対する考え方です。仏教(日本で主流である大乗仏教)では「死」を不浄なもの、縁起が悪いものとして捉えますが、キリスト教では「死」は祝福されるべきものとして捉えます。

https://www.yoriso.com/sogi/article/christian/

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