【人生論】初めてのセックスを誰とどんなふうにしたか。
性に奔放な女友達が何人かいる。
そんな女友達たちとの間で、妙にひっかかる会話があった。
あの頃いちばんモテてたのはわたしだ!いいやわたしだ!!てやつ。
みんなくだらない論争とわかっていながら、あえてバトるのがおもしろいのだが。
当時の夜遊びシーンの中心人物だった男性陣の名が出るに合わせて、「○○くんはあたしのこと大好きだったからね!笑」「△△さんもあたしのこと好きだった!笑」と間髪入れずに主張してきたのが、さそり座の女・マレちゃん。
「○○くんはいっつも、『マレちゃーん!パンツちょうだーい!』が挨拶だった笑」そう嬉々として言う。
そこでみんなが思う疑問。
それって、、、モテてんの???
◆
マレちゃんは、わたしのこのnoteにもたびたび出てくる。
仲良しではあるんだけど、彼女のその言動に対して、それどーなんかなあ、っていう思いにもたびたびなってしまう。
実際それどーなん?と切り込んだところで、彼女はソレにいいのいいのと蓋をしてしまう。モヤモヤする気持ちがあったとしても、解決を特に望んでいない。核心に触れられることを望んでいない。その話はもういいよ、楽しい話しようよと、さっさとソレに蓋をして、ずいっとソレを奥にやってしまう。そうして彼女の背後や内に、暗がりの部屋の隅っこに、積み重ねられた蓋付きの樽みたいなものが、わたしには見える。ソレは、なくならない。ある日突然消えたり、キレイになったりはしない。どんどんとどんどんと、発酵して、腐敗していくのみだと、わたしは知っている。
森高千里は、お茶の間にストレスということばがまだ浸透してない時代から、「ストレスが地球をだめにする/ストレスが女をだめにする」と歌ってたなあ。
本当にそう思う。
ストレスがいちばんの病因だと思う。笑う門には福来る、笑うとNK細胞が増える、はそこにも絡んでることだと思う。
ただ・・・悩むのが好き、迷うのが好き、って人も世の中にはいる。
極論、DV野郎とも引き合う性質の人はいて。
本当に本当に嫌なことだったら、どうにかそこから脱却を目指すはずだと思うのだが。結局、そうは言っても、その状態もそこまで嫌じゃない。まあ我慢できる。脱却することのパワーを使うよりも、それならじゃあ今のままでいい。・・・理由は多々あれど、それを「自分が選択している」という時点で、他人がとやかく言う権利はないような気がしている。
◆
というわけで、『わたしがいちばんモテた!』『いいやわたしだ!!』論争の中、「モテる」とはさて、一体どういうことを言うのか?に焦点が当たった。
すると、それぞれで「モテる」の認識が違っていたからおもしろい。
性に奔放な女友達たちは総じて、「セックスしたいと思われること」という認識だった。性対象として見られることが、誉れなこととして君臨していた。
一方、特に性に奔放というわけではなかった女子たちは、「好きだと言われること」「付き合って欲しいと言われること」が「モテる」という認識だった。
それと同時に明らかになったのが、「初めてのセックスを誰とどんなふうにしたか」が、その後の「モテ」の認識や、性への考え方に、めちゃくちゃ影響しているということだった。
初めて、ってデカい。何事も最初が肝心っていうもんなあ・・・。
いちばん幸せと言われるのはきっと、付き合っている好きな人とお互いがセックスしたくなってする、ってパターンだと思うけど。
そのパターンにはまらない場合は多い。
付き合ってるけど好きじゃないとか。好きだけど付き合ってないとか。
単なる興味でしてみたかったとか、されてしまったとか。
衝動的に性欲を解消したかったとか、されたとか。
相手は拒否してたのに、無理に遂行したりとか、されたりとか。
拒否のきもちがあったのに、言えなかったとか、合わせちゃったとか。
なんの意志もなく、ただただ流れにまかせたとか。
大切な思い出になっているのか、複雑な思い出なのか、思い出したくもないことなのか、なんの感情も湧いてこないことなのか。
初めてのセックスに対しての、自分の選択はどういったものなのか。
人生で五万とある「選択」のシーンのなかで、実は進学よりも、就職よりも、もっともっと重要な、深いものがあるのではないかと踏んでいる。