【夜日記】イイ子な笑顔にはワケがある。改めて、弱さという強さ|突占

9/29(水)。水曜日は「突然ですが占ってもいいですか?」の日。広島カープの試合を見ていて広島出身パフュームの占いを見逃した。

さて、今回も、興味深かったのは一般の方の占い。高校生の娘さんとお母さん。その娘さんの、なんとも聡明そうな健やかな笑顔が実に可愛らしい。中学時代にはリーダー的で中心的人物。だろうね、だろうね、かわいいね、と思いながら見ていたら。

なんと、親の離婚を機に?、高校生活も思うようにいかず、心身のバランスを崩して双極性障害を患っていたのだ。今見せている、その笑顔からは想像もしなかった、その病!

娘さんは、離れていった父に対し、甘えることができなかったらしい。気を遣うことしかできなかったらしい。すなおな思いが出せなかったらしい。それが理由で、外では明るく元気なイイ子であっても、家に帰ると母が怯えてしまうほどに気性を荒げたりと、外とはまったくの別人になってしまうとのことだった。

いま、そのテレビ画面に映る娘さんの、どう見ても健やかな笑顔からは全く想像がつかない現実。でも、その、例えるならば『模範的な笑顔』がカギなんだろう。
愛想笑いはほどほどに。多少の機嫌は顔に出す。それくらいの方が、言ってしまえばフツーなんだろう。
外に対して、こんなにちゃんと『明るくイイ子』な笑顔を見せる。それって、実は、相反するモノを抱えている証だったりするのかもしれない。イイ子であればあるほど。その笑顔が、模範的であればあるほど。誰もに対して常に明るく笑顔で元気に挨拶する人ほど、深い闇を抱えていたりする。身の回りにも、思い当たる。前回書いた、友達のマミちゃんが、まさにそうだ。

“マミちゃんに初めて会ったとき、太陽みたいだなと思った。ハツラツと元気できちんとした挨拶、まっすぐこちらを見てニッコリと笑うその笑顔。けれど、仲良くなりいろんな話をするようになると、マミちゃんの軌跡には思いがけない悲しみや苦悩が横たわっていることがわかった。マミちゃんのあの太陽みたいな笑顔は、それらを土壌に成るべくして成った「たくましい笑顔」なのだとわかった。”

娘さんは、占い師さんにこんなふうに言われていた。「あなた、大人の顔してますよ」「もっと甘えていいんです」「強がっても、カラダは正直です。メンタルも正直です」「弱さを出していいんです」と。

図らずも、前回書いた『弱さという強さ』を、『弱い自分をさらけだすという強さ』を、説かれていた占いだった。
占いというか、もはやカウンセリング。心の内を、剥いていく。娘さんが、イイ子な笑顔をやめ、涙を流し、口を歪めた泣き顔になる。モロモロと溢れ、零れていくものの大切さよ。
そうして最後には、お父さんに「車買って!」と甘えてみることにトライできていた。よかった。よかったなあ。

実体験から言って、初対面の際に、非の打ちどころがないようなニコニコと模範的な笑顔で明るく挨拶してくれる「イイ子」な人は、かなりの割合で心に思いがけない闇を抱えている。

行きつけの店で話すようになった同世代のタナちゃんも、その例にもれず。店に来る人誰もに朗らかに挨拶をし、みんなと仲良しなんだなあ、みんなに慕われてるんだなあと思わせる明るいやりとり。話題も豊富で、いつも笑い声を響かせていた。そうしながらも、店の中でひとりつまらなさそーにしている人はいないか、目の端でわずかにいつも気を配っている様子のタナちゃんも感じていた。
だからこそ。たまたまサシで深めに飲んだとき、お父さんの自死についてポロリとこぼしたときには驚いた。自身の離婚と再婚についても、ある種懺悔のような気持ちを背負い続けていて、いや、タナちゃんはあくまで明るく何の気負いもなく話しており、そこにムリしてる感とかはないのだが。ないのだが。明るく笑い飛ばすタナちゃんの心の奥に、膝を抱えて向こうを向いているタナちゃんの後ろ姿。

まあ、でも、誰にだってそういうのはあるのだろう。誰だって、いつも元気で明るいイイ子なわけがない。
だからこそ。いつどんなときも誰もに対しても笑顔でいようとしていたら。イイ子でいようとしている自分から、まずは目をそらさないことなんだなと気づく。

前述のマミちゃんは、なんてことない買い物の際や、料理を運んできた店員さんなど、ほんのひととき関わるだけの相手へも、ニコニコとした笑顔で元気に「ありがとうございますっ!」と告げる。店員さんはちょっと面食らって会釈したり、同じテンションで会話を交わしたり、対応は様々だ。
もちろん、明るくお礼を言うほうが、憮然として何も言わないよりは全然いい。マミちゃんの笑顔は、貼り付けたような不自然な笑顔でもないし、ムリな愛想笑いでもない。おそらく初対面の人にほど、一瞬出会う人にほど、太陽のように光り輝く。けれど、でも、なんだか、違和感を感じるときがある。正しい笑顔というのか。自分の生業としての笑顔というのか。んー。うまく言えない。

出会った当初「最初に挨拶したとき、太陽みたいな笑顔だなって思ったよ」と言ったら、マミちゃんは「とっても嬉しい!!」と喜んだ。「わたしが言われて一番嬉しい言葉!!」と。

マミちゃん自身は自分の笑顔を。笑顔の自分を。どう思っているのだろう。わたしはそんなマミちゃんに、いつも接客業への転職を勧めてしまう。きっとみんながもっとしあわせになる。
マミちゃんは今、いろんな負荷を感じながら正反対の仕事をしている。接客業は大好きだと、けれど今の職場を見捨てるようなことはできないと、マミちゃんは言う。今の彼女にとっての転職とは、見捨てることと同意なのかと、なんだか遠い気持ちになる。でももったいなさすぎる。本人が望むと望まざるとにかかわらず、彼女は笑顔の才能を身につけているのに。
とにもかくにも。
彼女は彼女の選択で、たくましく生きている。

ふと、だいすきな銀色夏生さんの、ある詩の一遍を。
そして、名言の嵐!と名高いマンガ「天使なんかじゃない」のあるモノローグを、思い出す。

銀色夏生さんのは、ちゃんと思い出せないが、
『自分の思っていることと行動が、近くなるほど、しあわせになるからね。』
確かそんなよーな詩だったはず…。なんて分かりよい、幸せの方程式。すなおな気持ち、すなおな言動をだいじにしたいと思う。

「天使なんかじゃない」は、こちらもうろ覚えだけれど、
『悲しみやつらさは、乗り越えてなんていかなくていい。ただギュッと抱きしめて、歩いていければそれでいい。』
そんなような、ハッとする言葉が記されていた気がする。

悲しみを乗り越えて! なんて巷でよく使われるフレーズだけど。
すなおな気持ちを、感情を。乗り越えたフリして置き去りにして無かったことになんてしなくていい。認めて、抱きしめて、ともに連れていく選択の、その力強さの方に惹かれる。

時は流れない。それは、積み重なる。

~「サントリークレスト12年」 秋山晶(1992年)

時は、積み重なって、積み重なって、今に、明日に、なっている。
だからすなおに。できるだけ。

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