#01 多様性の時代に求められるもの
コロンビア大学の人種構成
私が所属するミッドキャリア向けのエグゼクティブプログラムは、出願条件として6年以上の職歴が求められる。年齢制限はない。実際は、社会人経験10年以上の方がごろごろいて、若くて30代半ば、40代の方も珍しくない。世界各国から選抜された20名のクラスメイトとお互いに切磋琢磨しながら2年間で修士号取得を目指している。
コロンビア大学に限らず、海外の大学はどこも人種の比率はなるべく均等に近付けたいと思っている。人種構成をみると、私のプログラムについて言えば、20名のうち白人系が12名(60%)で圧倒的に多い。続いて、アフリカ系アメリカ人が4名。中国系アメリカ人が1名。インド系アメリカ人が1名。ヒスパニック系が1名。アジア系が1名。
日本を飛び出して厳しくも成長できる環境で学びたい私にとって日本人が私だけなのは好都合だが、人種の多様性を確保するという観点でいうと、コロンビア大学は白人のための大学と言わざるを得ない。
アメリカの教育格差
ハーバード大学に合格した白人学生の43%が卒業生または教授の子女、スポーツ推薦、または大口寄付者の親族という驚愕の統計が出ている。また、BBCの記事には次のようなことが書かれていた。
教育によって高学歴の人とそうでない人が社会的に分断され、恵まれない家庭に生まれた子供が高学歴を手にするためには、多くの金銭的、心理的な制約を乗り越える必要がある。
名門大学のロゴ入りパーカーやロゴ入りキャップをかぶって登校するアメリカのエリートたちを見て、ある程度、今のアメリカ社会の現状を反映しているのかなと思った。ちなみにコロンビア大学のロゴ入りスウェットは$50〜70という価格設定。決して安くはない。
アメリカに比べて日本は社会的な不平等が少ないため、日本社会においては平等な機会が提供されていると信じ、自分の学歴は自分の努力の成果であると考える人が少なくない。事実、私も「コロンビア大学に進学できたのは自分の努力が報われたから」そう考えている節があった。
両親ともに国立大卒で父は金融系サラリーマン、母は教師の家庭で育てられた、いわば「恵まれた環境」のおかげであることをつい忘れがちになっていた。がんばったら報われると思えたのは、周囲の環境が私を励まし、背中を押し、手を持って引き上げ、やり遂げたことを評価してくれたおかげである。そのことをつい、忘れがちになっていた。
マイノリティを支援する
入学したての9月はブロードウェイ通りに面した正門にCOLUMBIAの文字風船が飾られて、キャンパスはお祭りのような雰囲気があった。新入生向けのイベントに参加すると無料でピザが食べられて、他学部に知り合いができた。この頃、顔より大きいアメリカサイズのピザを週5で食べていた。
日が暮れるとキャンパス内の芝生に巨大な野外スクリーンが設置されて、実写版の映画「アラジン」を観賞した。トリビアクイズ大会ではサッカーボールの景品があたった。絵に書いたようなキャンパスライフがあちこちで見られる中、マイノリティを支援する様々なグループが大学内でダイバーシティの正しい理解に向けた啓発を行なっていた。
LGBTQ+を支援するグループは、ピンクやブルーのクリームがのったドーナツを配っていた。列に並ぶと「Sexual Respect」と書かれたハート型のピンバッジを胸元に付けてくれた。性的差別、暴力、様々なハラスメント、性の多様性を含めた人権を侵害する行為を根絶しようというメッセージが込められている。
ファーストジェネレーションを支援するグループは「Proud to be First Generation」とプリントされたお揃いのTシャツを着ていた。ファーストジェネレーションは両親が大学を卒業しておらず、家族の中で初めて大学に進学する世代のことを指す。恥ずかしながら、私はそのことを知らなかった。非英語圏からアメリカに移民した場合、両親が英語を話せない家庭も多い。彼らが大学進学を果たすことは並大抵の努力ではない。
アメリカで2月をBlack History Monthとした背景には、アメリカの学校や教科書がアフリカ系アメリカ人の奴隷解放から自由への闘いの歴史を無視していることに胸を痛めたことから始まった。コロンビア大学のアフリカ系アメリカ人の偉業を称えるイベントには黒人ラッパーJayZをゲストに招いてトークショーが行われた。客席にはなんと応援に駆けつけたBeyonceの姿もあった。世界でもっとも影響力のあるカップルをひと目見ようと会場に行くと、すでに整理券がなくなっていた。
差別問題は他人事で、自分自身の問題であるという認識を持っている人は少ない。かつての私も、差別をする人は「悪い人」であり、差別をしない人は「良い人」だと教わった以上、自分は差別などしていないから「良い人」だと信じて疑わなかった。しかし、多様性の中で生きるということは、人種的、性別的、宗教的、経済的な制約を受ける人たちがいて、アメリカでは制約を受けている人と受けていない人の格差があまりに顕著であることを示唆している。大学内のマイノリティを支援するコミュニティと出会って、努力が簡潔に成果に反映される環境にいること自体が「特権」であると認識するようになった。
私たちにできること
2020年のアメリカのニュースを見ていると、社会的に「特権」を持った人による差別的な発言や行為が後を絶たない。セントラルパークで犬を散歩させていた白人女性が黒人男性に「脅されている」と警察に嘘の通報をした事件。ミネアポリスで白人警官の理不尽な暴力や権力の悪用で殺害された黒人ジョージ・フロイドの事件。その後、人種差別の抗議デモが暴走化して警察車両の放火や落書き、店舗の破壊と同時に略奪が起きて、ニューヨーク中心部に夜間外出禁止令が出た。
先行きが見えない社会情勢の中、私は勉強が手につかなくなっていた。それはクラスメイトも、教授も、みんな同じだった。
一連の出来事がメディアで報じられた日の夜、教授から一本のメールが届いた。「What can we do」という件名で、私たちクラス全員に宛てたものだった。この教授は以前からダイバーシティ教育に非常に熱心で、特別な思い入れがあった。社会的特権については授業でもかなりの時間を割いて扱ったテーマだ。だからこそ、アメリカで400年にわたって続いている黒人に対する構造的な人種差別に胸を痛めていた。
そのメールに書かれたメッセージがずっと心に残っている。
変化は私たち一人ひとりから始まる。家庭から始まる。組織から始まる。自分の中にある無意識のバイアスを自覚せよ。バイアスは誰にでもある。特権を持って生まれた人は、自分の中にある特権に気づかないといけない。恵まれた環境と恵まれた能力を、恵まれない人々を助けるために使って声をあげよ。組織をリードせよ。もう黙って見て見ぬフリをしている時ではない。
また、米CNNの有名キャスターであるクオモ州知事の息子も差別に無関心なマジョリティ(社会的に「ふつう」とみなされている人々)と差別に苦しむマイノリティ(社会的に弱い立場にいる人々)を対比し、マジョリティへ特権の自覚を促している。その結果、差別のない社会を実現するためにはマジョリティの力添えが不可欠なのだと理解するようになった。
いま私たちに出来ることは、自分自身を客観的に見て、社会に潜む「特権」に気付くこと。そうやって意識を変える人が少しでも増えていけば、社会はもっと平等になっていくのかなと思った。