タイムマシンなんて無くていい
本日、2023年2月4日は私が応援しているプロ棋士・井上慶太九段がプロデビュー40周年を迎えた記念すべき日です。
この大きな節目の日の2週間前である1月20日。
この日行われた対局(対阿久津主税八段戦)で井上先生は勝ち、第94期ヒューリック杯棋聖戦の二次予選を突破、12期ぶり6回目の本戦出場を決めました。
私が先生を応援し始めたのは4年程前のため、12年前の棋聖戦本戦出場はリアルタイムで見ていません。
ですから今期、予選突破の瞬間をどきどきしながら棋譜中継を追って応援できたのはファン冥利に尽きるとても嬉しい出来事でした。
将棋連盟のホームページには2000年から現在までの棋聖戦決勝トーナメント結果が掲載されているので遡って確認してみると、直近24年間では第81期に加藤一二三九段が70歳で本戦出場したのが最高齢。
今回井上先生の59歳での本戦出場はそれに次ぐ2番目の年長者出場となります。
60歳を目前にしたベテラン棋士が予選から勝ち上がってこの結果を出したことは賞賛に値することだと思います。
スポーツの世界ほど顕著ではないにしろ、将棋界においてもプレイヤーの加齢による身体的な衰えは将棋の内容に影響を与えると言われています。
若い棋士の方がベテラン棋士よりも局面を速く深く大量に読むことができるため有利というのがその理由です。
将棋界にAIが登場する以前のベテラン棋士はそうした不利な面があっても、若手中堅棋士にはない「経験」を武器に本筋の手を見つけ出すことができたため、現在より年齢によるハンデは小さかったかもしれません。
しかし近年AIの急速な進歩により「経験」という貯金が無くても正解らしきもの(人間同士の対局では何かしらのブレが発生するはずなのであえて「らしきもの」と表現しました)を予習することが可能になったため、ベテラン棋士にとって今は受難の時代とも言えるでしょう。
そう考えると還暦目前の棋士によるタイトル戦の予選突破が容易にはなし得ないことであり、それを果たされたことで改めて井上先生の凄さがお分かりいただけるかと思います。
私が井上ファンになった頃、先生はすでに50代半ばでした。
過去には新人王戦優勝(1985年度)及び若獅子戦優勝(1986年度)、年間勝率第一位獲得(1993年度)、A級通算3期(第56期、57期、68期)、通算600勝達成(2008年)など華々しい経歴をお持ちの一流棋士の一人ですが、ここ最近にファンになったニワカの自分は先生のいわば「全盛期」をリアルタイムで見ることはできませんでした。
2つの棋戦優勝のお祝いを直接伝えることはできなかったし、昇級がかかった順位戦の大一番の対局結果が判明するのを待ち切れず早朝に駅売の週刊将棋を買いに走ることもなかった。
タイムマシンがあれば時間を戻して将棋と井上先生の応援にどっぷり浸かった青春を送れるのですが、私の手元にタイムマシンは無いのでそれはもう叶わない。
その代わりという訳ではありませんが「井上先生の若かりし頃の活躍ぶりを後追いでもいいから知りたい」と思い、私は時間がある時に時々国会図書館へ行き昭和50年代から平成にかけての将棋雑誌を読んでいます。
今はなき近代将棋、将棋ジャーナル、週刊将棋そして現在も残る将棋世界。
当時は数多くの将棋関連誌がありました。
そしてどの媒体を開いても毎号のように井上先生の記事が何かしら載っていて、当時の活躍ぶりを知ることができます。
それらの昔の記事を楽しく読んで図書館を後にするのですが、帰り道にふと寂しさを覚える時もありました。
「私は井上先生が棋士人生で一番強く戦っていた時期を実際には見てはいない。ただ過去の記事を読んで、見てきたような気になっているだけなのだ」と。
ですが今思えば自分は何も分かっていなかったことを恥ずかしく思います。
私が時々思い出して胸が苦しくなる井上先生の言葉があります。それは将棋年鑑(2008年版)の棋士アンケートでの回答です。
「この一局を勝っていたら‥と悔しさで記憶に残る将棋は?」という質問があり井上先生はこう答えています。
ー青野九段との王座戦準決勝。必勝形だったので。挑戦者というものになってみたかったー
過去、井上先生のタイトル戦における最高成績はベスト4入り。上記のアンケート回答は第37期王座戦(1989年)のことですが、その前年第36期王座戦でも準決勝まで進んでいます。
2年連続でベスト4入りを決める高いポテンシャルがあるにもかかわらず、あと少しでタイトル戦の舞台へ届かなかった想いが伝わってきて、このアンケートを読み返すたびに涙が出てきそうな切ない気持ちになっていました。
ですが、今回50代最後の年に井上先生は自分自身の手で再びチャンスを掴み取りました。棋聖戦決勝トーナメントへ駒を進め、これから始まる対局であと4勝すれば藤井棋聖への挑戦権を獲得します。
さらりと「あと4勝」と書きましたが、この先当たるメンバーは当然強敵揃い。最初の1勝がどれほど大変で遠いのかは想像に難くありません。
ですが現時点では、今期ベスト16に残っている棋士にのみ棋聖のタイトル挑戦を目指す資格と権利がある。
そしてそのうちの一人が井上先生なのです。
さらに言えば「推し棋士が挑戦権を獲得してタイトル戦の大舞台に立つかもしれない」と夢を見て希望を持つことができるのも、今現在、勝ち残っている16人の棋士のファンだけに許された特権なのです。
今は「ファンになったのが遅かったから井上先生の全盛期を見逃してしまった」と一人で勝手に思い込んで図書館の帰り道にしんみりしていたあの日の自分を叱り飛ばしたい気分です。
将棋年鑑のアンケート回答の「挑戦者というものになってみたかった」という言葉を読んでも、もう切なくなることはありません。
現役で公式戦を指している限り、何歳になっても何度でも、タイトルを目指す場所に戻って来られることを今回井上先生が決勝トーナメントまで勝ち上がる姿で教えて下さったからです。
タイムマシンがあればよかったのにと考えた時もありましたが、やっぱりタイムマシンなんて無くていい。
そんなものに頼らずとも、現在進行形で強く戦い続ける先生を今こうして自分の目で見て追いかけられているのですから。
40周年の大きな節目を素晴らしいスタートで迎えられたことを本当に嬉しく思っています。
井上先生、私はとてもとても幸せなファンです!
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