ソッケルカーカ(Sockerkaka)
2015年は〈わたしにおける北欧年〉、さらに細かくいうと、〈スウェーデン年〉であった。
2月、トーキョーノーザンライツフェスティバルで数十年ぶりに映画『刑事マルティン・ベック』を観たのをきっかけに、原作である『唾棄すべき男』を再読し、さらにシリーズ1作目から1冊ずつ読み進める。偶然、早稲田松竹でイングマール・ベイルマンの特集があり(その後、ユジク阿佐ヶ谷でも!)、これまで1本も観たことがなかったので観にいき(『第7の刻印』はとても興味深かった)、映画館で2回観ている『シンプル・シモン』のDVDを買って、改めて一度観たり、『国を救った数学少女』を読んだり、IKEAに行って、プリンセスケーキやセムラを食べたり、家でショットブラール(スウェーデン風ミートボール)を作ったり……。
そんなわけで、「月刊児童文学」2015年10月号で、初めて担当することになった「お菓子の旅」では、スウェーデンを代表する児童文学作家、アストリッド・リンドグレーンの作品から取り上げようと決めたのは自然ななりゆきだったといえよう。たくさん邦訳が出ているので、ネタには困らないはず。知人が子どもの夏休みの自由研究に、「やかまし村」シリーズに出てくるジンジャークッキーを作ったと聞いて、じゃあ、わたしもそれでいこう!と思ったのだが、ジンジャークッキーはすでにお菓子の旅で取り上げていたことを知る……。
しかし、「やかまし村」シリーズにはほかにもお菓子がいくつか出てくる。シリーズ第2作『やかまし村の春夏秋冬』(石井登志子訳/岩波書店)に、お母さんが退屈しているリーサにケーキを焼くことを勧める場面が出てくる。
その前日、リーサは隣の北屋敷に住んでいるブリッタとアンナとけんかしてしまって、ふたりとはもう絶対に遊ばないと決めていた。兄のラッセとボッセは風邪で寝込んでいる。おまけに外は雨。退屈で退屈で何をしたらいいのかわからないリーサはお母さんに向かって嘆く。
これまでケーキを焼こうとしたことすらなかったリーサは、できるわけないと尻込みするが、お母さんに教わった通りにやってみると、見事にケーキが焼きあがる。
丁寧に手順を紹介し、分量まで細かく(少なくとも卵と砂糖に関しては)書かれている。材料は家に常備されているものばかりだし、リンドグレーンもよく作っていたのだろうなあと思う。レモンの代わりにカルダモンやバニラシュガーを風味づけに使うこともあるようだが、いずれもおそらくスウェーデンの一般家庭なら置いてあるはずだ。
北欧のお菓子の作り方を紹介している本では、このケーキはソッケルカーカ(Sockerkaka)と呼ばれている。sockerは砂糖、kakaはお菓子(ケーキもビスケットもkaka、複数形はkakor)。要するに砂糖菓子。2019年刊行の石井登志子氏による新訳では「スポンジケーキ」となっているが、1965年の大塚勇三氏による旧訳では「カステラ」。大きな卵でカステラを作る場面が印象的な『ぐりとぐら』(中川李枝子文/山脇百合子絵/福音館書店)が初めて「こどものとも」で発表されたのが1963年。あのころ、卵と小麦粉を使ったおいしいお菓子といえば「カステラ」だったのだろう。だから、Sockerkakaを「カステラ」と訳したのは正しかったと思う。そして、今、「スポンジケーキ」と訳されているのも正しいと思う。お菓子作りの専門家なら、Sockerkakaと「カステラ」は違うとか、「スポンジケーキ」というよりは、むしろ「パウンドケーキ」ではないかといった反論があるかもしれないが、本を読んだ子どもたちが頭のなかで思い浮かべるイメージとしては、これでいい。
ちなみに、イングマール・ベイルマンの映画『冬の光』で、主人公の牧師にお手伝いの女性が、Sockerkakaがあると声をかける場面があるが、字幕では「ケーキがある」となっていたように思う。
2020年春、店頭から小麦粉やベーキングパウダー、ドライイーストが消えた。新型コロナウイルス感染症への対応で、学校が全国一斉休校となり、出かけることもままならぬ子どもたちの気を紛らすために、お菓子やパン作りをする親子が多かったことが影響していたらしい。わたしはやかまし村のリーサのことを思い出した。時代や場所が変わっても、退屈している子どもの気を紛らわせる方法は大して変わらない。