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木版画家・川瀬巴水さんの特別展の生涯で感じたこと【大阪歴史博物館レポ】
大阪歴史博物館にて開催中の「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」にいってきた。開催期間は12月2日までなので足を運ぶのが可能な方にはお勧めする良い特別展、行って良かった!
まずは大阪歴史博物館の広場にある高床式住居を観ながら案内板で難波宮遺跡のことを学び、時代的に先日行ってきた四天王寺さんのはじまりと近いのでつながる学習になった。
そして歴史博物館の中に入って10階の古代の歴史、奈良時代の難波宮の大極殿、模型、瓦や器といった焼き物などの展示品を見て、窓から大阪城を望んだりして9階の大坂本願寺時代へ…豊臣秀吉の天下の台所の時代の模型や建築物の再現を観て安治川や船場の風景を知ることができた
8階ではなにわ考古研究所で井戸の地層や遺跡発掘の流れや方法などの解説パネルやパズルなど展示されていて、個人的にジオパーク学習として地質や遺跡の知識が必要なこともあり、興味深いのでいろんな道具や資料を使ったワークショップも開催されているときに参加してみたくなった
そして12月23日までの特集展示「心斎橋ときもの ―小大丸260年のあゆみ― 」に移動し、創業260年を区切りとして2024年3月に歴史の幕を下ろした心斎橋筋の老舗呉服商・小大丸のあゆみを写真や着物などの資料と共に大阪の衣生活や服飾文化の変化をイメージすることができた
この時点ですでに楽しすぎて満足していたけど、6階に移動してメインである木版画家・川瀬巴水さんの特別展へ…全国を旅して原風景を写生したり、庶民の生活、四季の移ろいがわかる描写が美しく、胸いっぱい。
前知識が乏しい中で出向いたのでところどころにある解説パネルで川瀬巴水さんの生涯を学ぶところからスタート
画家を目指し14歳で日本画を学び、19歳で親に猛反対された日本画家の道を諦め、父親の家業を継いだけども画家になる夢を諦めきれず妹に任せて、25歳にて鏑木清方さんの門をたたくも年齢的に遅すぎるとのことで洋画を薦められて岡田三郎助さんから洋画を学んでみるもなじめず、27歳でまた鏑木清方さんの門をたたき2年の修業を経て1912年の29歳の時に「巴水」の画号を与えられて日本画家となったことを知る。
少し前に勉強した三菱財閥の御令嬢であった澤田美喜さんの本にも出てきた三菱深川別邸(元箱根見南山荘風景)、そこから見える風景や庭を三菱本社から、美人画を得意とする鏑木清方さんに依頼をし、風景画を得意とする弟子だった川瀬巴水さんに白羽の矢が立ったのが1920年、
次々と作品に目を通し…解説を読んで…を繰り返しながら観賞していると、精力的に活動をしていた矢先の1923年に関東大震災で写生帖や木版がすべて焼失してしまい絶望の淵に立たされた時の解説には長く足を止めてしまった。
それでも写生の旅を決意し力強く前に進み、新しく作品を作り続ける情熱や実績は新時代の木版画「新版画」を推進した版元の渡邊庄三郎さん(現・渡邊木版美術画舗初代)や彫師、摺師といった職人さんたちと力を合わせたからこそ…旅先から渡邊さんに寄せた手紙の展示もあった。
親の反対、家業の傾き、修業スタートが遅いと門前払いでも再挑戦、関東大震災で作品や資料がすべて焼失、太平洋戦争中は疎開、その後の作品発表、そして胃がんで1957年で生涯を閉じたことを知ることができた
はあ、私も家具職人の夢を諦められず23歳で転職してその道に入り、介護が始まり築いてきたすべての仕事を失ったから落ち込んで気力を失ったなんて、川瀬巴水さんと比べるのはおこがましいけども素直に自分は甘っちょろいなあ…っとキャパの狭さを痛感。
小さなことで愚痴ったり嘆いたりしないで前を向きたいと刺激をもらえた時間でもあった。
(※しかし…素晴らしい人と比べてしまって自分にとって辛いことを無理に頑張ろうとするのは病む原因にもなるので要注意!)
また、途中、木版画ができるまでの工程のビデオが流れていて素晴らしく、絵師・彫師・摺師の技術が伴ってこその美しい作品を前に『すごいなぁ』としか語彙力が無い私。余生でジオラマ作りがしたいですが木版画の彫りと摺りもしたくなりました