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人生の集大成・理想的な美しい40代でなくてもいいと逃げた話

私の仕事は家具職人、子供の頃は住宅販売チラシを模写する趣味で設計士に憧れたけど、8歳の時に友達のお父さんが木工所を経営していて婚礼家具を自作したものを見てカッコいいと憧れた。

その流れはブログの『家具職人への道』で書いているので省くけどとにかく自分は子供の頃から

  • ◯◯になりたい

  • ◯◯を◯日までに終わらせる

  • ◯◯をこなさなきゃ遊ばない

  • ◯◯を達成しなきゃ帰らない

などという目標設定してこなさないと次に進めないというルールを課してクラブ活動や勉強をしていた。夏休みの宿題は先に終わらせないと落ち着いて遊べないから日記以外は先に終わらせていた

マラソンとかサーフィンとか趣味も練習みたいで、一緒に行った友達に『合宿みたい』と笑われたこともある、実際私はマラソンもサーフィンも皆で楽しく行くのではなく、1人で参加して1人で帰って昼からは仕事したいから近場に移住したのもある

その割にはかなりの数の挫折が多く、人間関係(主に社長上司からのセクハラや嫌がらせ)の理由で転職も繰り返してはしぶとく社会にしがみついて、自分の決めた道を達成するまで諦める勇気がない痛い女から痛いおばさんになった。

痛いおばさんになる手前、30代後半は目標に向けて情熱を燃やし、40歳になるとこれをする、などと計画を立てて起きてる時間ほぼ仕事に費やしてようやく目の前が明るくなってきた頃、介護で社会離脱してリセットした。

それからは本当に落ち込み、生活も仕事もお金も乏しくなり、目標が持てない人生は意味がない、ただ生きているだけでお金もかかるし無駄な時間、介護もうまくできないし迷惑な自分は消えた方がいいっと希死念慮に襲われた。

自分でも嫌になるほどあまりにもコントロールできないネガティブな感情、誰にも知られたくない、だからこそ人付き合いも断ち、個人SNSも閉じた。

数年仕事以外は引きこもって病んで死ぬ日を決めて生きることにしたらその日までは生き尽くそうと元気が出て楽になったことに驚いたけど救われた(ここでも目標設定する性分発揮)

※このことは全て晒してnoteにも書いたけど、心配されて通知が来たし、知り合いに読まれたくないからnoteから移動して独自ドメインに移動して隠している

このままではダメな大人だと、姪っ子甥っ子の悪いお手本になってはいけない!っと一念発起して資格の勉強をし始めたら福祉住環境コーディネーターに合格した

それをカンフル剤として、落ち込んだ精神を上げるために、22歳の頃に興味を持ったインテリアコーディネーターの資格試験に挑戦したら楽しくて学科はまさかの合格だった。

しかし、実技の製図と論文が3年連続不合格、それなりやったつもりでも時間内に描けないし、焦るしで全く合格ラインに立てないから諦めることにした

嗚呼、結局は、ただの役立たずのおばさん、何の結果も残せず時間だけ費やしただけだった…と自己嫌悪…

待てよ…製図って最初こんなの描けるわけないってパースやアイソメに絶望感を持ったけど、毎日毎日繰り返し描くことで少しは成長したやん?様々な描写、無理だと嘆いていたけど描けるようになったやん?

私は目標設定して結果を出さないと意味が無いと思って仕事でも絶望を繰り返してきた。だから何年にも渡り練習したのに合格できない自分は能力が無いとさらに自己嫌悪になった。

しかし、合格という目標に対する結果は得られなかったけど上達したことは事実だと楽な評価に逃げて励ましてみよう。そもそも精神療養で合格目指すことを避けて始めたのにいつの間にか世間一般の評価に囚われていただけ。

二級建築士からの大工さんへの目標もあり、世の中では笑われたり批判や否定される年齢やスキルや体格でもあることはわかっているので胸を張って宣言できないけど

特に年齢制限も無いし、合格するまでやり続けていたら、出来るようになるし、おばあちゃんになってから笑って『40代しんどかったわあ』って笑って言えたらいいかなと。

よく言われがちな40代は今までの仕事の集大成であり、今までの在り方が40代の外面も内面も美しくするということ、

自分もそれに影響されて20.30代にしてきたことが実ると思っていたけど、私はその美しさや人生のまとめになりがちな年齢制限から逃げることにした。50代、60代と胸張って先延ばししよう

私は恥ずかしながら今から大工さんへの道を模索している、その理由は別記事ですでに書いている。自分がやりたいし、地域のために役立ちたいし若者につなぎたい、

私の目的は

・寺社仏閣のメンテナンススキルの取得
・若者の担い手育成の架け橋(高齢化で途絶える前に中継する)
・災害時の家屋修繕のボランティア(これ大事!!)
・二級建築士の登録(これは夢物語かも…)

誰かがやってくれないかな?ではなくて自分が身体を動かして携わりたくてたまらない。そもそも子供の頃が

  • 変わっている

  • 面白い

  • 恥ずかしい

  • ついていけない(呆れられる)

  • 止めてもいうこと聞かない

  • 敵に回したくない

  • 頭のネジ外れてるよね

など言われてきたので今更世間一般に並ぶこと自体が難しい。

歪んだ背骨(姿勢)で生きてきて、カッコ悪いから真っ直ぐになるよう矯正したら、内臓がつまり息がしにくくて筋肉も攣る感覚(実質私の身体)

申し訳無いけど常識から逃げて自分が楽な方に進もうと思う、それは決めたことを満足するまでやり続けること。

死ぬ日を決めてはいる、それはもう数年だけど、知らぬ間にその日は越えていていつの日かシワシワのおばあちゃんになっても自立していてまだ目標設定と更新する心身を持ち合わせていたらいいな。

こうやって堂々とオバさんのポンコツ振りを書き残しているのは、同世代の女性が堂々と70歳になるまでの高い目標を発言している取材動画を観て似たような意志で生きていることを知ったのが烏滸がましいけど嬉しかったから。

目標内容は違えど、長いスパンで自分のやりたいこと、人に役立つことに向けて新しい挑戦を重ねていく姿を見て1人じゃ無いんだと元気をもらえたし、自分なりの目標を持っても大丈夫だと安心できた、同じようにこのポンコツもいつか誰かの元気に繋がるといいなと感じたからだ。

そのためにはもちろん過程と結果を提示できるように積み重ねる必要がある。逃げてる自分の愚かな現在のことは気にしつつも投げ出さずに未来に向けてやってみよう

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