コーヒーはムズカしい。
2023/1/11 ヴィロンのガレットデロアの当たりはハリネズミだった
前回の続きから思い起こすと、私は一体、何をどうしたかというと、やっぱり観察するのがまずは先決とワニさんが日々時折(当時は焙煎自体回数が少なかった)焙煎する豆を時間系列に観察することと、とにかくおいしくコーヒーがドリップ出来るようになるために実践あるのみ。苦い思いをしては、やはりワニさんに質問するしかないと思い、どうやったら美味しいコーヒーが飲め(俺れ)るか?を尋ねると
自分が美味しいと思う味をまずは見つけてください
だった。そこらへんの詳しいことは著書のとにかく美味しいコーヒーが飲みたい。に書いてあるので読んでください。今書いているこの物語はその内容から10年後のわたしの身に起きている〝今〟を書き記しているのである。
思い返してみると、ドリップするために〝自分で自分の美味しいを探しなさい〟という、ワニさんなのだから、私を焙煎家に育てようと考えると、自ずと自分で美味しいと思う味を焼いてくださいというのはある意味で、筋が通っている。
そう言われると、自分の中にある興味心をそそられる。
焙煎をすると考えると頭が硬くなるが自分が美味しいと感じる味わいを生み出すと考えると機械作業ではなく調理工程のように感じられるのである。
今やロースターになりたいという老若男女はとても多く驚くのだが、最初に戻るがコーヒーはムスカしいのである。
とはいえ、それはそれで実際問題、今日は焙煎日(昔に比べると焙煎する回数が増えて準備に追われる朝仕事)生豆のハンドピックをする。
美味しいと不味いを振り分ける作業を、まずは焙煎する前に仕込みをするのだが、そもそも全くの素人の私がなぜ生豆のハンドピックの指導ができるようになったのかが、焙煎家への道のりの二歩目な気がするのは気のせいだろうか?
今日の仕込みはルアンダメキシコパナマグアテマラブラジルエチオピアと句読点を入れすに書くとまるで呪文のようである。私はハウルの動く城のソフィーになれるだろうか?