私とファッションVol2
私が26歳の時に初めて世間一般で言う”ブランド”というものに触れ始めます。アパレル販売員にとって外資系ブランドで働けるということはキャリアアップの一つ。今でこそ募集しておりますが、当時は外資系ブランドは新卒採用がほとんどなかったので、経験をしてから挑戦する。というのが常でした。
実際、働いてみて驚いたこと
なんと緩いんだろう(笑)。が一番の印象。
日本のアパレル、特に私が働いていたところは本当に厳しかった。
先輩、後輩もしっかりあったし、言葉遣いも当たり前、予算達成する為の施策、売り上げに対する評価、仕事のスピード全てが厳しかった。しかも新卒で入社しているので他を知らなかった私には、本当に驚きました。
しかもその時はまだまだ全然有名じゃなかったブランドだったので、とにかくお店が暇だった(笑)。
*今でこそ有名なシューズブランドですが、当時は○○ジャパンになったばかりで正規店は日本で4店位しかなかったです
公休数も残業の無さも人の少なさも本当に驚きました
私は既に店長を経験してから外資系ブランドに転職しているので、若いくせに本当に生意気なスタッフだったと思います。その時の皆様、本当にすみませんでした(笑)。
日々、ラグジュアリーなものに触れるようになり、そのデザイナーのこだわり、シューズ一つ作るのも職人のこだわりに魅了されていきました。
こんな想いがこの1足に込められているのかと思うと感動さへ覚えます。
そこから私は13年間、同じ会社で働きました。良い事も嫌な事も経験したし、まだ日本で4店舗しかなかったシューズブランドがどんどん拡大していく様を一緒に経験出来たことは忘れられないな・・・
しかも最初のラグジュアリーブランドがシューズだったので、本当にオシャレが好きな方が多くて、シューズがファッションの中で本当に重要であることを肌で感じることが出来たし、私も日々のコーディネイトでシューズを気を付けるようになりましたね。
やっぱり、シューズがどうでも良いモノだとどんなに素敵なお召し物でもワンランク下がりますからね。
シューズブランドで13年間働いたのちに、いよいよ世界一流ラグジュアリーブランドに転職することになるのです
この続きは明日・・・
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