わたしの看取りプロジェクト15
ありがとう
9月27日午後5時55分、父は81歳の生涯を終えました。
最後の皮下点滴から8日目。よくがんばったと思います。
うちで過ごした19日間は看取り前提だったから、医療についてどう考えたらいいか少し混乱しました。
床に伏した人間に対しては治療するのが普通ですが、父の場合は治すわけではないので、ただひたすら痛い思いをしないよう気を使うわけです。
体温や血圧を測ることも意味がないのでしませんでした。
ただ、酸素の数値だけはちょくちょく見てしまいました。
パルスオキシメーターという小さな器具を指先にはさむと、酸素と脈拍の数値が分かります。酸素は90以上なら問題ないといいますが、むせたときなどに測ると90を切ってしまいました。
訪問診療のドクター(ヨン様似)や看護師さんは、死が近づくとどんな状態になるのか、それとなく教えてくれました。
「身体に酸素を取り込むため息が荒くなり、胸が上下します。苦しそうに見えるかもしれませんが、それは自然の姿であり、本人はまったく苦しくないので安心してください」
父が家に戻ってきてからは、父が昔買ったレコードを次々にかけて過ごしました。
わたしがそろそろ最後の日が来ると悟ったのは死の2日ほど前です。
その日、5回目の訪問入浴を終えたとき、血圧は100をわずかに上回る程度でした。
酸素や脈拍は、もう検知できません。
翌日の血圧は86。
父は口をあけ、ずっと荒い息をしています。
そして27日。
手を握ると、前日まで熱かったのに少し体温が下がっているようで、わたしの手を握り返す力も弱くなっていました。
はげしい息を続ける父を見ておれず外に出た母は、庭で紫蘇の実をしごいていました。
夕方5時すぎに来た妹がリハビリをしようと父の手を取ると、指先の色がみるみる変わってきました。
とっさに靴下をぬがせると、足の裏も紫に。
訪問診療所に電話したら、「ご希望でしたら看護師を送ります。でも何ができるわけでもありません。いまはお父さんに声をかけ続けてあげてください」と言われました。
訪問診療を始めるとき、息が荒くなっても酸素マスクは望まないと伝えてあったことを思い出し、看護師さんに来てもらうのはやめました。
庭にいた母を呼び入れ、わたしたちは父の耳元で口々に「ありがとう」と言いました。
その瞬間、父の左目から涙が3すじ流れ落ちました。
そして顎をわずかに上げ、息が途切れました。
顔からは一切の苦しみが消え、心から安心しきった様子が見てとれました。
もう認知症でわたしたちを困らせた父ではなく、聡明で心優しい本来の父に戻っていました。
部屋にはザ・プラターズの曲が流れていました。
(2014.9)