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あたし #03
物心ついた時には父親はいなくて、一度も会ったことはなかった。
父が居ない寂しさを感じたこともない。
ただ、保育園にパパと言う存在が迎えに来るのを見ると少し羨ましくはあった。
母は昼も夜も働いていたので、保育園に迎えに来るのはいつも最後。それは正直寂しかった。
余裕がなかったからなのか、母は毎日イライラしていて、毎朝あたしの髪を結ぶことすら面倒くさそうだった事をよく覚えている。
機嫌が最高潮に悪い時には、髪の毛を思いっきりひっぱられて、その力で身体が浮くこともあった。
泣いたら怒られる、蹴られる。
オシャレな髪型なんてして貰ったこともなく、ちょんまげオンリー。
それがあたしのトレードマークでもあった。
そんな母だったけど、音楽が好きで毎朝テープラジカセで音楽を流してくれた。
あの頃のあたしの好きだった曲はみぽりんの
"waku wakuさせて"だった。毎日必ず保育園に送ってもらう時にはかけて貰っていた。
保育園では、女子で洋服の流行りがあったりもしたけど、あたしはほとんど買ってもらったことはない。
あたしも欲しいと強く言った記憶もない。
あたしの卒業アルバムはいつも同じ洋服を着ていた。
後から見て笑った。
保育園での思い出は、仲良しの友達がいた楽しい思い出と、嫌いな(嫌われていた)先生がいた苦い思い出のみよく記憶に残っている。
母子家庭で、母の迎えがいつも遅いからなのか、、、
あたしがただ嫌われていただけなのか、、、
他の子にはかわいく三つ編みをしてほどいてソバージュをしてあげてたのに、あたしは一度もして貰ったことはなかった。
幼少期の苦い思い出は、記憶によく残るものだと
そこで学べたとも思っている。
小さなことでも大きくトラウマになることも知った。
夜は母は居なかったけど、兄と押し入れから布団を出しながら布団を滑り台にしてよく遊んだ。
兄とあたしとおばあちゃんとよく笑っているあの時間は本当に尊かった。
もちろんおじいちゃんもいたよ。怒ると怖かったけど、あたしは一度も怒られたことはなくて、何かと名前を呼んで飴玉をくれた。
母にとっては嫌いな父だったみたいだけど、あたしはおじいちゃんが好きだった。