見出し画像

新しい時代到来に向けて(1)「ムラ社会」の発想を捨てましょう。

しばらく業務に忙殺されたため、続きを書くことができませんでした。

先日より100年に一度という大パラダイムシフトが起きているよ、という話をしました。従来の既存勢力によってできあがった体制が崩れ、自分の強い意志とそして少しばかりの語学力があれば誰にでも均等にチャンスが訪れる時代がやってきました。

しかし日本人は日本国内だけに目を向けるクセがすっかりついてしまい、なおかつ日本人同士で話をしていると日本の外でどれだけドラステイックな変化が起きているかについてなかなか実感することは難しいようです。

そのためには外国の記事、ソーシャルメデイアの「グループ」(これもSNSが苦手な人はあまり使っていないようです)の投稿等を見れば少しは理解できるのですが大部分の記事が英語、というのが日本人にとって大きなハードルになっているようです。

加えて日本の音楽、映画を始めとする芸能界は日本国内の市場だけを見ていればこれまで十分にやってこれました。そこがお隣の韓国と大きな違いですが、今日本の人口は減っており、とりわけエンタテインメントの大きな消費層である若者の人口が激減しています。また日本経済は長い間のデフレにより大多数の方の実質賃金が下がり、エンタテインメントにかけるお金は非常に限られてきました。

また日本の「芸能界」(私は正直この言葉は嫌いです。代わりに「ショービズ」という言葉を使いたい)は音楽や映画の不況でも日本国内の市場のみを見る、というクセがどうしても抜けない人が多いようです。そしてそれは単なるクセではないようです。音◎協の事務所の社長の方々を見ていますと既存の「お付き合い」をうまくやることをトッププライオリテイとしており、そこには既存の芸能界の「秩序」を守ることが何より重要という意識であるようです。

私はこれは日本人のDNAレベルにまでしみ込んでいる「ムラ社会」の弊害ではないかと考えます。

「ムラ社会」は「ムラ社会」のメンバー同士のお付き合いの論理が何よりも優先されるため、その関係で日本の社会の外で大きな変化が起きてもそれに対する合理的な姿勢、発想をすることができなくなってしまうようです。

そのため音楽ですと配信、ストリーミングに産業の規範が変化することに最後まで抵抗したのは音◎協の事務所であり、彼らはいまだにCDやパッケージに固執しています。(映画のビデオレンタルも同じです)なぜなら音楽や映像の「流通」に芸能界ムラの「権益」が存在するためで、それが音◎協の力の1つになっているからです。

先ほど日本人はDNAレベルで「ムラ社会」がしみ込んでいると書きましたが、このDNAはある意味変化というものを忌み嫌う体質をもたらしているようです。

私見ですが、江戸時代末に日本中で盛り上がった「尊王攘夷運動」は最終的には倒幕→明治維新、にまで結びついたというイメージがありますが、実際には尊王攘夷運動の本質ではそれではなく、寧ろ真逆の保守的=変化を忌み嫌う体質から来たということができます。少なくとも初期の「水戸学」は外国人排斥(異人を打ち払う)と「鎖国の維持」を目標にしていました。

しかし薩摩や長州は実際に外国と戦い、特に長州は欧米列強にコテンパンにやられ、力による「攘夷」は不可能と理解します。しかし水戸藩士にはそのような経験がなく、最後まで「外国人排斥」「鎖国維持」の考えを改めようとはしませんでした。結果天狗党の乱のような悲劇が起き、水戸藩士の殆どは死滅してしまうのですが...  とにかく「尊王攘夷運動」はそれだけ幕末に多大な犠牲を生みました。

これは全て日本人の「変化をしたくない=鎖国を維持したい」という幕末の悲劇を見ても日本人の「変化を忌み嫌う」体質はかなり日本人のDNAの中の深い部分まで入り込んでいることがわかります。

しかし今は19世紀の帝国主義のような露骨な武力による侵略は難しい時代ですし、ロシアのように武力によるウクライナ侵攻を強行すればどうなるかを目の当たりにしました。世界中から孤立し経済制裁を受け、ウクライナは欧米諸国からの武器供与を受け寧ろ強大化していますが、ロシアは補給を絶たれ経済も破綻寸前の状態となっています。悲惨な戦いで罪のない多くの人が亡くなっているのは本当に悲しいできごとですが、しかしロシアはあと数か月以内には戦争を維持するのは不可能な状態になるでしょう。

話はそれましたが、ウクライナのような例外はともかく今は武力の侵攻はおきにくくなっています。中国ですら今回の事態で台湾侵攻に言及しなくなった点がそれを示しています。とはいえ、現代は日本の幕末に匹敵するくらいの大変化が日本を訪れようとしています。そのためには日本人のDNAレベルに入り込んだ「ムラ社会」体質を捨てる必要が出てきます。

つまり

「ムラ社会」体質を捨てて、グローバルな時代の発想に変える。

認めたくない人も多いでしょうが、日本を再生するにはそれしか方法はないといっていいと思います。

言うは簡単ですけどね。

しかしそのために日本の再生にとって障害となっているもう1つの発想を捨てないといけません。

それは「昭和の発想」を捨てること

長くなりましたので次回の記事にします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?