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「脳人間」の比喩とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』


「脳人間」の比喩 【のうにんげんのひゆ】

 「すばらしき「脳人間」の世界――それは究極の〈無限の生〉、「意のままになる生」が実現した世界である。身体を捨てて脳だけになった人間は、自律的に制御された〈社会的装置〉に、チューブと電極を介して文字通り接続される。……この「脳人間」の物語は、はたしてわれわれに何を訴えかけているのだろうか。それは究極の〈自己完結社会〉に至って、われわれは確かに、あの理想と現実とをめぐる「無間地獄」の苦しみから解放されうるということである。」 

下巻 125

 〈無限の生〉の敗北を超克するために、いっそのこと〈生の自己完結化〉〈生の脱身体化〉を極限まで推し進め、「意のままにならない他者」「意のままにならない身体」からの完全解放を試みる思考実験のひとつで、「通販人間」(生産活動を自動化させ、必要なものをすべてドローンで自宅に届けてもらうことによって、社会生活をバーチャル空間(メタバース)内で完結できるようになった社会)から一歩進んで、身体を捨てて脳だけになり、完全自動化された生命維持装置と情報機器に直接接続されることで、「人間的〈生〉」を完全にバーチャル空間へ移行させた社会のこと。

 そこでは事実上、人々は生まれながらの身体的な特徴や属性(〈有限の生〉の第二原則=「生受の条件の原則」)のみならず、臭い、汚い、きつい、痛いといった身体的なわざわい、怪我、病、障碍、老い、衰弱といった身体的な苦痛(〈有限の生〉の第一原則=「生物存在の原則」)から解放され、さらにはバーチャル空間内で、自分好みのバーチャル人格が演出してくれる情感溢れる物語のなかだけで〈関係性〉を構築し、嫌な人間、馬の合わない人間との〈共同〉〈有限の生〉の第三原則=「意のままにならない他者の原則」第四原則=「人間の〈悪〉とわざわいの原則」)からも解放される。

 こうして人々は、究極の意味において〈自立した個人〉「自由な個性の全面的な展開」に到達し、恒久的な「自己実現」を通じて、ついに悲願であった「こうでなければならない私」を手に入れることになる。

 とはいえ、脳自体もまた「存在論的抑圧」になりうることを考えれば、「脳人間」は最終的には脳さえ捨てて、情報機器に漂う完全な「思念体」となるだろう。

 ここにおいて「〈ユーザー〉としての生」が最高潮に達し、人々は本当の意味において「自由」になる(「存在論的自由」)。そこではどのような存在になることも可能で、どのような刺激や快楽であっても望めば手に入る。ところがそうした「意のままになる生」の極地にあって、「脳人間」たちは最初のうちこそ楽しめるが、やがて体躯と虚無とに耐えきれなくなり、やがて自分自身で生命維持装置の電源を切ることになる(「自殺の権利」)。

 〈存在の連なり〉から自立し、「この私」だけの意のままになる世界にあって、人間は何ものかになることも、何かを実現することにも、つまりは生きる意味そのものを見いだせなくなるからである。

上柿崇英『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版、2021年)

 このページでは、筆者が2021年に刊行した『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版)に登場する用語(キーワード)についての概略、および他の用語との関係について説明したウェブ版の用語集のnote版です。

 (現在リンク先は、すべてウェブ版を借用していますが、徐々にnote版に切り替えていく予定です。

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