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【講座】環境の哲学 第2回 環境主義の誕生とその問題意識(前編)

 みなさんこんにちは。これから前回に引き続き【講座】環境の哲学を進めていきたいと思います。よろしくお願いします。

 第1回では、初回のイントロダクションということで、まずはこの講座のテーマと目標、そして問題意識について確認し、そのうえで、この講座全体の予定として、今後どのような話をしていくのかについて見てきました。

  • 【第2回(今回)の内容】 環境主義の誕生とその問題意識(前半)

    1. 「環境」という言葉に伴うイメージ

    2. そもそも「環境」とは何か?

    3. 1960年代の時代の情景と環境主義が成立するまで

  第2回と第3回の二回を通じて見ていきたいのは、前回でも少し触れた環境主義の成立過程についてです。環境主義は、わたしたちが用いている今日的な意味での「環境」の概念の生みの親となった思想のことです。
 
 前半となる第2回では、まず再びわれわれの「環境」という言葉の持つイメージの問題を振り返った後、「環境」概念そのものについて深く考えてみたいと思います。そしてそのなかで、もともとの環境概念が、私たちの知っているものとはまったく異なるものだった、ということについて確認することにしましょう。
 
 続いて、環境主義が成立した1960年代について焦点をあて、それがどのような時代だったのか、そして環境主義が提唱した環境というテーマが、当時いかに新しいものだったのかということについて確認していきたいと思います。


1.「環境」という言葉に伴うイメージ


 それでは早速本日の授業内容に入っていきましょう。まずは、「環境」という言葉に伴う私たちのイメージについて、再度確認してみましょう。


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 最初のスライドですが、これは何のイラストだと思いますか。地球が暑そうにウチワを持っています。そうです、地球温暖化ですね。今日、環境と言えば環境問題、そして環境問題と言えば、まさに地球温暖化とそれに伴う気候変動のイメージだと思います。


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 こちらのスライドはいかがでしょうか。乾いてひび割れてしまった土壌。異常気象によって引き起こされた干ばつかもしれませんし、水資源の使いすぎによって枯渇してしまった河川の川底かもしれません。


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 これも環境という言葉からよく連想されるものです。かつては環境破壊と言えば自然破壊という時代もありました。そこでは、とにかく破壊される緑を守ることこそが、環境に取り組むことだというイメージがあったと思います。


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 これはどうでしょうか。煙突から煙が出ている写真ですが、ようするに人間の経済活動がもたらす環境汚染の象徴ですね。


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 次は、前回も取りあげたシロクマの写真です。このように、人間のせいで何の罪もない野生動物たちが可哀想な目に遭っているというイメージは、環境という言葉に非常に強く結びついたイメージだと言えるでしょう。シロクマの代わりにアザラシがでてくることもありますし、油まみれになった水鳥などもよく出てくると思います。


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 これも先の人間の活動がもたらす環境汚染ですね。特にここではゴミ、つまり廃棄物が象徴として描かれています。最近ではマイクロプラスチックの問題が注目されましたが、これも汚染や廃棄物の問題だと言えるでしょう。


『新詳世界史図説』浜島書店編集部、浜島書店、1993年、206頁より

 これはどうでしょうか。一見これまでの写真の系列とは違うようですが、これも環境というテーマにおいては非常に強く連想されるイメージの一つです。これは難民の写真なのですが、ようするに途上国の貧困の問題や、南北格差の問題です。

  こうしてみてみると、気候変動から野生動物、工場から難民まで、一見、まったく別の問題に思えそうな幅広い対象が、環境というイメージによって強く結びつけられているのがあらためて分かると思います。


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 さて、これはどうでしょう。これまでと違って、今度は打って変わって明るいイメージになったと思います。前回も触れましたが、「環境」という言葉には、ネガティブなイメージと、ポジティブなイメージが存在します。これまで見てきたのはすべてネガティブなイメージでしたが、ここにある緑豊かな美しい風景、「緑を守る、自然を守る」というのは、環境のポジティブなイメージだと言えるでしょう。


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 これも環境のポジティブなイメージですが、先の緑と山の風景とは違い、出てくるのは地球です。地球を優しく包み込む人間の手、「かけがえのない地球のために、世界の人々がひとつになって行動しようというイメージです。

○「環境」のイメージから見えるもの

 さて、以上を通じて環境という言葉が連想するイメージについてみてきましたが、いかがでしょうか。何か気づいたことはありますか。例えば、ネガティブな環境のイメージはどれも非常に具体的なのに、ポジティブな環境のイメージは、どこかとても抽象的なものだという感想を持った方がいるかもしれません。

 実はこの指摘はある部分では、あたっていると思います。これは、ネガティブなものはいわゆる個別の環境問題に由来しており、これに対してポジティブなイメージの方は、問題解決のための指針や理念由来している、という違いからくるものなのかもしれません。

  とはいえ、この講座の問題関心は別の所にあります。それは、いま見てきた環境のイメージが、実は、概念の歴史を振り返ってみると、本来環境が持っていた意味とは相当に異なるものであるということなのです。


2.そもそも「環境」とは何か?


 ここまでは、私たちの環境という言葉が連想するイメージについてみてきました。ここからは、そもそも「環境」とは何か?、つまり環境概念の起原と変遷について見ていきたいと思います。

 まず、私たちが「環境」と言うとき、実はそこには微妙に異なる四つのニュアンスが含まれています。

  • 第一に、環境とは、特定の主体を想定した場合の“単なる外界”のことである。

  • 第二に、それは特定の主体が“影響を受ける外界” のことである。

  • 第三に、それは特定の主体が“影響を与える外界” のことである。

  • 第四に、それは特定の主体の生存基盤、特に“保護の対象となる外界” のことである。

 そして歴史的に見てみると、これらの四つの意味は①が最も古く、それから②、③という形で新しいニュアンスが加えられていったらしいということです。

 なお、「環境」は英語では、environmentといいますが、②から④の意味は基本的にはこのヨーロッパ言語のenvironmentに由来しています。つまり、environmentという概念自体が、②から④という形でかわってきたのであり、環境概念は、それと連動する形で変わってきたということです。

 もう少し、詳しく見てみましょう。

○単なる外界としての環境


 まず、環境概念の最初の意味は、「特定の主体を想定した場合の“単なる外界”」のことでした。

主体に対して、単なる外界としての環境

 つまりこれが古くからある日本語の「環境」です。この語の語源については諸説があるのですが、一説には「“環”をなすところの“境”」を意味する中国語や仏教用語から来ているとも言われています。

 そして先に、②から④はヨーロッパ言語のエンバイロメントに由来すると述べましたが、語源的には、どうやらenvironmentの方も、この①の意味が最も古く基本的なものだったようです。

 環境とは、「特定の主体を想定した場合の“単なる外界”」である。確かにこれは一見何の変哲もない定義のように見えるかもしれません。しかし実は、この何の変哲もないところが重要だったりするのです。

 主体とは、何らかの認識や行為を行う中心になるものということができますが、要するに、例えば人間を主体と考えれば、その周りにあるのが環境であり、人間以外の生物、例えばキリンを主体と考えればその周りにあるのが環境、ということです。

 ここには別に、緑を守るとか、かけがえのない○○といったニュアンスは一切ありません。とにかくに、何かを主体と見なせば、その主体にとっての環境がある。これだけです。そしてこれこそが環境のもっとも基本的な最初の意味だったということなのです。

 このことは非常に重要なことで、実はここから、人間にとっての環境と、キリンにとっての環境は、果たして同じ環境として理解しても良いもののだろうかという問いが出てくるのですが、このことは今回は踏み込まないことにしましょう。

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○主体が影響を受ける外界としての環境


 次に、環境とは、特定の主体が“影響を受ける外界”であるという第二の意味についてですが、これが用いられる典型的な例は、「生まれではない環境要因となる環境」をわたしたちが問題にするときです。

主体が影響を受ける外界としての環境

 例えば今日の私たちも、「子育てするには良い環境、教育環境」といったことを言ったりしますが、これがこの第二の意味だと思ってもらえば良いと思います。

 この第二の意味が流行したのは19世紀のヨーロッパです。そしてそれは当時提唱された「環境決定論」と深く関係しています。環境決定論とは、「生物の特性は、すべて刷り込みや学習を通じて獲得される」、つまり生物の特性が、遺伝的要因というよりも、すべてが環境要因によって決定されるという学説に他なりません。

 オオカミ少女という言葉は聞いたことがありますでしょうか。それは、小さい頃何らかの理由で親から離れ、後に野生動物と一緒に見つかった子どものことで、行動がオオカミにそっくりだとして当時話題となり、環境決定論のひとつの根拠にも用いられたものでした。

 もちろんこれを聞いている皆さんは、人間の特性が遺伝とは無関係に、環境のみによって決まるとは思わないでしょう。実際、オオカミ少女は後に誤りだとされ、19世紀的な意味での環境決定論そのものは、いまでは否定されているからです。

 とはいえ、当時環境といえば、こうしたものが想起されたのです。それは現在の私たちが想起するイメージとはまったく異なるということが分かると思います。

○主体が影響を与える外界としての環境


 さて、環境の第三の意味は、今度は逆に、特定の主体が“影響を与える外界”のことです。

主体が影響を与える外界としての環境

 この「外界に対する影響力」を問題とする環境概念は、これまでのものに比べれば、ずっと私たちのイメージに近づいてきたと言えるでしょう。端的に言ってしまうと、主体を人間と見なしたときに、その外界が破壊されるというイメージ、つまり「環境問題」という概念の成立と深くかかわっていると思われます。

 あとは、科学としてのエコロジーが20世紀になってとりわけ展開してきたこととも関係があるかもしれません。エコロジーは生物と生物の関係性を読み解く学問ですので、ここに環境を当てはめると特定の生物と環境の相互作用というイメージが導出されることになるからです。

○主体の生存基盤、特に保護の対象となる外界としての環境


 最後に、特定の主体の生存基盤であり、特に“保護の対象となる外界”というものですが、これこそが、「緑をも守る」、「かけがえのない○○」といったイメージのもとになっている環境概念です。そして、この環境の用法は、環境問題の解決をめざして形作られた思想、これから見ていく環境主義が現れてから一般化したものだと言えるでしょう。

主体の生存基盤、保護の対象となる外界としての環境

 以上、環境という概念そのものの歴史について見てきましたが、ここでいったんまとめておきたいと思います。

 まず、環境概念には、微妙に異なる①から④の意味があること、そして歴史的には①から④の順番に形成されたということを私たちは見てきました。

 「環境」という言葉自体は古いのですが、その元々の意味は①であり、19世紀には②を念頭に用いられてきました。そしてわれわれが想起する環境概念は、環境問題の出現と密接に関わる、比較的新しく現れた意味合いだったということです。

 それではこの新しい環境概念を生み出した時代とはいかなるものだったのでしょうか。そこにはどのような人々の、どのような思いが込められていたのでしょうか。それらのことについても見ていきましょう。


3.1960年代の時代の情景と環境主義が成立するまで


 ここまで、そもそも「環境」とは何か?、つまり環境概念の起原と変遷について見てきました。ここからは、私たちが用いている環境概念の比較的新しい意味、それを生みだした環境主義がどのような時代に、どのような人々の思いによって構想されたものだったのかについて見ていきます。

 前回の講義でも少し触れましたが、環境主義が形成されたのは1960年代から70年代にかけてです。1960年代と聞いて、皆さんは、それがどのような時代だったのかイメージすることはできるでしょうか。いまからおよそ半世紀前ですので、皆さんのお祖父さんとお祖母さんが皆さんと同じぐらいの年だった時代だと考えてもらえば良いと思います。

 まずは、その時代の特徴のいくつかを箇条書きにしてみます。

  • 第二次世界大戦の終結以降、世界的な経済発展によって先進国では工業化が促進した。

  • 大量生産・大量消費・大量廃棄社会の到来。

  • 大衆(マス)社会。単純労働、画一的なマスメディア、テクノクラシーによる“人間疎外”。

  • その中で現代社会の矛盾を問う新しい世代の運動が起こっていた。

 これだけだとイメージがわかないと思いますので、もう少し補足しながら見ていきましょう。

○”豊かな時代”の始まり

 1945年に第二次世界大戦が終わった当時、世界は戦争の傷跡で、ぼろぼろの状態でした。60年代は、それから20年あまりの歳月が流れて、世界全体が猛烈に経済成長を遂げた時代でした。日本でも、1964年に東京オリンピック、1970年に大阪万博が開かれています。いろいろ映画やドラマにもなっているので、まさにその頃を想像してもらえたら良いと思います。一般庶民の元にも家電製品がガンガン普及して、カラーテレビ、クーラー、マイカーの三つのCが憧れの「3C」と呼ばれた時代です。

 社会はどんどん豊かになって、社会は豊かになるためにドンドンものを生産しました。つまり、大量生産・大量消費・大量廃棄社会がまさに到来した時代だったと言えるでしょう。

○大衆社会と人間疎外

 しかし、この時代は、豊かさや繁栄に邁進する社会のなかで、いろいろな矛盾が指摘された時代でもありました。大衆社会というのは、産業がどんどん発達して急速な都市化がおこるとき、おおらかな時代とは異なり、都会の真ん中ですれ違う誰一人顔見知りがいないような社会、集団でいながら皆が孤独であるといった社会のことを指しています。

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 そうしたなかで大量生産のために単純労働をひたすら行い、巨大なマスメディアに一方的に情報を支配されてしまう。テクノクラシーというのは、技術者や官僚といった高度な専門知識を持った人々が一般大衆をコントロールする社会のことを指しています。いずれにしても、素朴な時代から現代都市のような生活スタイルへの移行のなかで、多くの人々が人間疎外、つまり自分たちは「人間らしい生き方」をどこか失ってしまっているのではないか、ということを考えた時代でもあったということです。

○社会運動の時代

 次に、この時代を象徴するものとして、この頃、時代を問うさまざまなテーマの社会運動が繰り広げられたことということについても見てみましょう。

 例えば反戦運動は、その典型的なものですが、この頃運動を引っ張ったのは、戦争の時代にまだ生まれていなかった人々です。当時世界は冷戦構造の真っ最中で、アメリカとソ連をそれぞれ盟主とする形で世界全体が真っ二つに分裂していました。

 しかも当時のベトナム戦争は、そうした大国の代理戦争とも呼べるもので、貧しい国の多くの庶民が犠牲になっていました。戦後の価値観で成長した若者たちは、未だに世界で戦争がなくならないことへの憤りを運動として表現していたわけです。

 反核運動というものもありました。先に当時の世界がアメリカとソ連を盟主とした冷戦の時代だと言いましたが、1962年には、世界が一度核戦争直前にまでいきかけたことがありました。

 もちろん核戦争が一度起これば人類そのものが破滅ということは皆分かっていたわけですが、軍事拡張をお互いに止めることができず、世界はいまより遙かに核戦争の脅威に曝されていたわけです。

 当時の社会運動として、他にも公民権運動というものがありました。これは日本というよりも国外で大きな意味を持った運動ですが、要するに人種差別の問題です。南アフリカでは90年頃まで肌の色によって使って良いトイレなどが区別されていました。下の写真に写っている奥の方は、「I Have a Dream」という有名な演説を行い、人種差別の撤廃を訴えた事で知られているキング牧師です。

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 他にも、ウーマンリヴともいわれた女性運動も活発に行われました。これは最初のフェミニズムとして知られる女性の参政権の運動ではなくて、その後今日にも続く、生き方やあり方としての女性の解放をめぐる運動です。

○宇宙の時代の世界観

 もうひとつだけ、この時代の雰囲気を象徴する話をしておきたいのですが、そのキーワードとなるのは「宇宙」です。

 まず皆さんは、人類初の有人宇宙飛行が成功したのはいつで、それを成し遂げた国がどこかご存じでしょうか。それはまさにこの60年代のはじめで、成功させたのはアメリカではなくてソ連です。ちなみにこの8年後にアメリカはアポロ計画を成功させるのですが、それをアメリカが急いだのは、ここでどうしてもソ連に負けられなかったからだと言われています。

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 1961年、ソ連のガガーリンという宇宙飛行士が、人類初の有人宇宙飛行を行ったとき、宇宙から地球を眺めて「地球は青かった」という有名な言葉を残しています。

 そしてこの「地球は青かった」という言葉が有名になったことそのものが、実は当時の時代をよく現していると言えます。どういうことでしょうか。

 先に見たように、第二次世界大戦が終わって世界はどんどん豊かになっていきました。しかし、アメリカとソ連が対立を続け、全然平和は訪れません。資本主義か社会主義か、キリスト教かイスラム教か、人間社会は考えの違いなどでいがみ合い、争いが絶えませんでした。

 そこで、初めて人類が宇宙という視点に立ってこの地球を見たとき何がその目に映ったのか。それは、真っ暗な宇宙にぽっかりと浮かぶ青々とした地球でした。宇宙から地球を眺めてみれば、私たちが大宇宙のたった小さな星のなかで、イデオロギーや宗教や国教などで争い合っていること、そしてそれがいかに小さな事かを実感するでしょう。

 「地球は青かった」という言葉が有名になったのは、「宇宙から見た地球という」、こうした当時の人々が受けた感慨が反映されていたのではないかと思います。

 ちなみに、こうした宇宙時代の世界観を感じられる例として、もうひとつフラーという人が提唱した「宇宙船地球号」という言葉があります。

 フラーは言います。私たちは全員、真っ暗な宇宙のなかを進む、地球という宇宙船の乗務員である。ところが残念なことに、この宇宙船には操縦マニュアルがありません。しかし私たちはこの宇宙船のなかで生きて行かなければならない。マニュアルがないなかで、乗務員全員が力を合わせて、宇宙船を操縦して行かなくてはならないわけです。

 そのように、想像してみると、世界が違ったように見えてくるでしょう。当時の人々にとっては、それが私たち以上だったということです。

○環境主義の成立

 そしていよいよこうした時代背景のなかから、環境主義が成立してくるわけです。

 まず以下は、その後まもなく一般的に”環境問題”と呼ばれるようになる問題について列挙したものです。

  • 産業化のもたらす健康被害

    • スモッグ・公害:例えば工場や自動車から放出される有害物質による健康被害(大気汚染や水質汚染→ 四大公害)

  • 生態系の破壊

    • 酸性雨:汚染された大気が酸性となり樹木を広範囲で枯らす

    • 砂漠化・森林破壊:開発による森林の減少と熱帯雨林の荒廃

    • 廃棄物:廃棄物からの有害物質による土壌汚染

    • 野生動物の減少:森林破壊、汚染、乱獲などによる野生動物の減少

  • 世界問題

    • 資源枯渇:化石燃料の枯渇

    • 貧困:南北格差、途上国の構造的な従属

    • 人口増加:貧困に伴いいっそう人口が増加

 実はここに書いたような多くの問題は、この頃までにはほとんど認知されるようになっていました。

 例えば、産業化のもたらす健康被害は、スモッグや公害として知られていました。スモッグとは、工場や自動車から放出される有害物質で、都市部ではそれがもたらす健康被害が世界的に注目されていました。日本では、こうした問題は公害と呼ばれ、大気汚染や水質汚染がいわゆる四大公害となって人口に膾炙したということはよく知られています。

 次に生態系の破壊も知られていました。

 例えば酸性雨の問題、これは汚染された大気が酸性となって広範囲で樹木を枯らす問題です。砂漠化・森林破壊、これは開発による森林の減少と熱帯雨林の荒廃などです。廃棄物、これは要するにゴミ問題です。当時は燃やせば良い、埋めれば良いとやってきましたので、そこから廃棄物から流出した有害物質による土壌汚染が問題とされました。あとは野生動物の減少ですが、森林破壊や汚染、乱獲などによる野生動物の減少が知られていました。

 さらに言えば世界問題として、例えば資源枯渇や貧困問題も注目されていました。資源枯渇の代表格は石油などの化石燃料の枯渇。貧困問題の中心は豊かになった先進国と豊かさを謳歌できない途上国との格差等の問題です。そして人口問題、特に途上国では人口が増加し、ますます貧困が深まる現状が知られていました。

 要するに、今日環境問題として理解されている多くの問題は、この時代すでに知られていたわけです。しかしこうやって改めて見てみると、健康を害するスモッグから、野生動物の減少、果ては化石燃料の枯渇まで、本当に幅広い問題が含まれていると思います。

 そして最も重要な点は、これらの問題がすでに知られいたとはいえ、基本的には、まったく別の次元の問題であると理解されていたということです。

 つまりここで、「環境問題」という概念が初めて登場してくるのです。というよりも、この頃になると、これらの問題は個別的に存在しているのではなく、全部がつながっている、つまり切り離して考えることができないという認識が広がっていきます。そしてここに、人間の生存の関わる環境劣化の問題という意味で「環境問題」というひとつの新しいカテゴリーが与えられました。これが私たちの用いる意味での、環境概念の始まりだったのです。

 この考え方が当時、いかに新しい発想だったのか、想像できるでしょうか。先に見たように、60年代から70年代にかけて、人々はどんどん豊かになっていく自分たちの社会や時代に不安を覚えていました。このままでいいのだろうか、ものや消費にうつつを抜かしているあいだに、自分たちの文明は、何か根本的に間違った方向に進んでいるのではないか。そのように感じている人々がいました。

 環境という言葉は、いわばそこにひとつの物語を与えたのです。つまり人類は、確かにさまざまな失敗を経つつも豊かな社会を築き上げた。しかしそれは気がつけば、自分たちの文明そのものを支えている大事なものを破壊しながらなされたものであった。一見別々に見える多くの問題が、「環境問題」という形で、実は文明のあり方そのものを問うものとして密接に関わりながら勃発している。こうした物語です。

 したがって私たちは、環境危機の克服を目標にしながら、人々の意識を変え、社会を変え、新しい世界の在り方を模索しなければならない。こうして誕生したのが、環境主義というひとつの思想、ひとつの新しいイデオロギーだったわけです。

○環境主義の進展

 環境主義は、1970年頃を境に、世界的なトレンドを引き起こすようになっていきます。これかrの時代は「環境」の時代だ、という言葉がメディアを賑わせ、米国で行われたアースデイと呼ばれるイベントには30万人あまりが集結したとも言われています。

 1972年には、ストックホルムで国連人間環境会議という世界で最初の環境国際会議が開催されます。そのときのテーマはまさに「かけがえのない地球」です。

UNEPのロゴマークは、ストックホルム会議のロゴマークでもあった。
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 ちなみに、このとき議題になったのが酸性雨の問題だったことは、示唆に富むものだと思います。先に触れたように、酸性雨は工場が出す煙などに含まれる有害物質が雨を酸性にして、森林を枯らしてしまう問題です。一般的な問題であれば、自分の国で法律を作ればすむわけですが、酸性雨の場合は、有害物質を出す国と、雨が降って森が枯れる国が同じとは限りません。要するに、環境問題をきっかけとして、まさに全世界が一つとなって協力し合わなくてはならない。そうしたメッセージを象徴しているとも言えるからです。

 こうして環境というテーマが世界的なものとして定着してきました。80年代になると、さらに次のようなものが注目されてきます。

 例えば、地球温暖化、産業活動などがもたらす温室効果ガスによって地球が温暖化し、それに伴う気候変動が災害などをもたらす、要するに今日気候変動として注目されているものです。

 次にオゾンホール、これはフロンなどの化学物質がオゾン層を破壊することで、有害な紫外線が地表に降り注ぐようになるという問題です。そして生物多様性、希少な野生種が失われることによって、生態系が脆弱化し、貴重な遺伝子資源が失われていく、といった問題です。

 こうして環境問題は、人間どころか全生命に関わる全地球的な問題であるという認識が高まり、それこそ全地球的な問題であるということで地球環境問題と呼ばれるようになっていくわけです。


まとめ


 さて、以上を通じて、環境概念のイメージや歴史から始まり、1960年代の時代の情景を経て、環境主義が成立してくるまでを見てきました。私たちが環境という言葉とともに持っているイメージがどのような経緯で形作られてきたのか、またその時代背景となるもの、そしてその時代を生きた人々の息吹のようなものを感じてもらうことはできたでしょうか。

 後半となる次回では、この環境主義が成長していくにあたって、その思想的なインスピレーションを牽引することになった、いくつかの書物、そしてその思想に込められた精神といったものについて見ていきたいと思います。

それでは、お疲れ様でした。