【原理のUD(ユニバーサルデザイン)化 連載①】物のUD化よりも原理のUD化を。
これから、原理のUD(ユニバーサルデザイン)化とは何かを考えるための記事を、連載という形で投稿していこうと思います。
まず、なぜUD(ユニバーサルデザイン)化なのかということからお話しします。
原理のUD(ユニバーサルデザイン)化とは、近年注目を集めているUDの議論を、物のレベルから原理のレベルに転換することをさします。
今回の記事では、物のUD化の問題点について考えます。
一部の人にとっての障害となるものを取り除くことが、他の大勢の人にも役に立つから、それを一般的なものにしていこうとする考え方をUD(ユニバーサルデザイン)と言います。
たとえば、車椅子の人にとって階段は登りにくいからスロープにするということは、UDの代表的なものの一つです。
階段をスロープにすることによって、車椅子の人にとってはもちろんのこと、歩く人にとっても快適に移動ができるようになります。
昨今、教育の世界では、些細なことで何でもUDを持ち出して、いろんなものを統一しようとする風潮があります。
たとえば、板書の書き方を学年や学校で揃える、教室の前に物を置くと気が散る子がいるから教室の前方には物を置かないというルールを統一する、などといったものです。
これらは、板書を誰にとっても見やすいものにする工夫や、誰もが集中して授業に取り組めるような環境づくりの工夫です。
このような考え方から、物を一般的に使い勝手の良いものに統一することをよしとするような流れができてきています。 学校では、こうした物のUD化がどんどん広がっています。
物は分かりやすいです。
「とりあえず、これを使っておけば、誰にとっても困らない」となるからです。
でも、一方、それによって、過度に合わせることを強いる文化がつくり出されてしまったり、どうでもいいことまで学校全体で細かく統一しようとすることで個々の教員が疲弊するという事態が起こってしまったりします。
このことの根本的な問題点は、実際にその場で過ごす子どもの実態から手立てを考えずに、一般的にこうすれば誰にとっても良いという考え方でさまざまなことを規定してしまうことにあります。
この問題を解決するために私が提案するのが、原理のUD化です。
では、原理のUD化とは何なのか。
次回は、そのことについてお話ししていこうと思います。
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