教育において最も効果的なものとは。

以下の記事は、2023年1月27日にアメブロで執筆した記事の再掲載です。

教育において最も効果的なものは何か。

そう問われたら、どのように答えますか。

そこには、いろんな解答があるように思います。

何かの教育方法に立脚して教育活動に取り組んでいる人は、その方法をあげるかもしれません。

言葉かけの方法、語り、声の出し方、効果的に働くシステムをつくること、などなど、いろいろな方向からの解答ができそうです。

数年前の私であれば、「子ども理解に即した実効的な関わり」とでも答えていたかもしれません。

まぁ、ある意味、今回、私が一つの解答として用意したものは(あくまで私の用意した一つの解答でしかないので、これが絶対的な正解ではありません。)、「子ども理解に即した実効的な関わり」につながるものなので、数年前から私は変わっていないと言えるかもしれませんが、私が用意した解答は、もう少し根本的なものです。

どうでしょうか。

皆さんは、どのようなものを思い浮かべたでしょうか。


さて、今の私は、教育において最も効果的なものは何かという問いへの解答を、どのように考えたかというと…


私は…




時間




だと思うのです。

学校教育でも、家庭教育でも、社会教育でも、これはどんな教育でも言えることのように思います。

どれだけ時間をかけたか。

このことが、その教育が効果的なものになるかどうかを規定するように思うのです。

学校教育でいえば、やはり、子どもたちにとって一番の学びになるのは、先生と一緒に過ごした時間だと思うのです。

もしかしたら、その先生の指導法は、ある子にとっては、少し合わないと感じられるようなものかもしれません。

それでも、長く一緒に暮らす中で、その子と先生の関係性が変わっていったり、その子の先生との向き合い方や先生のその子との向き合い方が変わっていったりして、そうした中で、教育は有意義なものになると思うのです。

もちろん、その中で、指導法を変えたり、言葉のかけ方を変えたり、子どもに響く言葉を心を込めて伝えたり、そういうことをすることが、教育をより良い方向へ向かわせることはあると思います。

けれども、それは、あくまで教育の方向の矢印(ベクトル)の向きを変えるだけで、教育をその方向に前進させるのは、一緒に過ごす時間だと思うのです。

最近、私は、上手くいかないなぁ、どうしようかなぁと悩むことがありました。

でも、よく考えたら、相手は、まだ1月の上旬に出会ったばかりの子どもたち。

一緒に過ごした時間が、まだまだ短いのです。

たしかに、単発の授業なら、準備次第でとても素敵な授業になることもあるかもしれませんが、ずっと一緒に過ごしていく中では、上手くいったり上手くいかなかったりすることがあるのは当然です。

それに一喜一憂するのも良いのですが(そこから学びが生まれることも多くあるので。)、あまりに一喜一憂し過ぎて、上手くいかなかったからもうダメだと思わない方が良いように思うのです。

私は、授業や子どもとの関わりが上手くいかないと、「あぁ、もうこの世の終わりだ…」というぐらい深刻に感じてしまうことがあります。(大袈裟に聞こえるかもしれませんが、体調の悪さや他の大変なことなどが重なると、本当にそんな感情が生まれます。昔、心理学の授業で、コラージュを作成したときに、解釈の結果で「破滅型」のような名前の傾向が出たのを覚えています。物事を極端にとらえて、自分にとってよくないことを普遍的な大きな深刻な問題と結びつけてネガティブにとらえがちというような説明を受けて、かなり自分に当てはまるなぁと感じました。)

でも、上手くいったり上手くいかなかったりしながら、少しずつ関係性や理解を深めていきつつ、お互いに成長していくことこそが、教育という営みなのです。

先日、こんな投稿をしました。

教員をしていると、授業も生活指導もその他いろいろも、上手くいったり上手くいかなかったりするけど、その都度悩みながら、学校で普通の教員として生きていったらいいんだよね。
— T.Fujiwara (@ENDpTGm7KGiOYbp) 2023年1月25日

これは、漫画『医龍』をもとに考えたことです。


教育において最も効果的なもの。

それは、時間。

私は、そう思います。

一緒に過ごす時間こそが、教育を有意義なものにしてくれるのではないかと、そう思うのです。


みなさんは、このことについて、どのように考えますか。

よろしければ、是非、ご意見をお聴かせください。

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