【原理のUD(ユニバーサルデザイン)化 連載④】原理のUD化の原理はどのように導き出せばいいか
原理のUD(ユニバーサルデザイン)化とは何かを考えるための連載の第四弾です。
前回の記事では、原理のUD化がなぜ物のUD化の問題を解決することができるかについての2つの理由を考えました。
今回は、原理のUD化をするための原理はどのように導き出せばいいのかを考えます。
原理のUD化とは、子どもの見方についての原理を一般化して共有することでした。(連載②参照。)
一例として、「問題解決の順序」を大切にするという例をあげました。(連載②参照。)
その際に、私は、「私自身も子どもの頃そうでしたが、子どもの中には、まずは自分が納得できなかったトラブルのきっかけを最初に解決してもらわないと、自分の失敗を認めて謝ることができないという子がいます。」と書きました。(連載②参照。)
原理のUD化をするための原理を導き出すときに大切なのは、「私自身も子どもの頃そうでしたが」という部分です。
子どもの見方についての原理を考えるときに、教師の視点で「どうやったら子どものトラブルをうまく収められるか」という考えが先行してしまうと、教師の働きかけが子どもの実態と乖離してしまいます。
そのため、子どもの見方についての原理を考えるときには、まずは、教師の視点を一旦脇に置き、教師が子どもの視点に立つ必要があります。
では、教師が子どもの視点に立つためには、どうすれば良いでしょうか。
私は、自分が子どものときに感じた違和感について振り返ることで、教師は子どもの視点に近づけるのではないかと考えます。
教師が、自分が子どものときに感じた違和感をもとにして、そこから子どもの見方についての原理を導き出すことで、子どもの実態に即した原理を考えることができるのです。
もちろん、教師は、向き合う子ども本人とは違う人間なので、子ども本人の考えと完全に一致することは不可能です。
しかし、自分の子ども時代を振り返ることで、子どもの視点に近づくことはできると思うのです。
このように、原理のUD化をするための原理は、自分の子ども時代を振り返ることで導き出すことができます。
では、子ども時代を振り返ることで、原理のUD化をするための原理を導き出すとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。
次回は、そのことについてお話ししていこうと思います。