【原理のUD(ユニバーサルデザイン)化 連載⑦】中学生時代のエピソード「携帯逆パカ事件」(3)
原理のUD(ユニバーサルデザイン)化とは何かを考えるための連載の第七弾です。
前回の記事では、「携帯逆パカ事件」がどのようにして起こったかを紹介しました。
勝手に写真を撮ってゲラゲラ笑われて、写真を消してくれといっても消してくれなかったから、その子の携帯を折った(逆パカした)ら、彼が襲いかかってきたというところまでお話ししました。
今回は、その後の顛末を紹介します。
私のことを勝手に写真に撮ってゲラゲラ笑っていた年が一つ下の彼は、きっと私を立場の低い存在だと見ていたのでしょう。
そして、彼は、私のことを、ナヨナヨしていて、勝手に写真を撮るという悪ふざけをしても何も抵抗できない人間だと思っていたのでしょう。
そのような想定が生まれてしまう子どもの中の序列意識(最近では、「スクールカースト」という言葉がよく使われます。)の問題にも関心があり、そのような観点から導き出した原理もありますが、ひとまず、ここではその問題には深入りしないでおきます。
私が彼の携帯を折ると、彼は豹変して襲いかかってきましたが、彼が写真を消してくれと言っても消さなかったのだから、私は、私がやったことは正当防衛だと思っていました。
だから、私は、完全に自分は悪くないと思っていました。
けれども、彼の携帯電話を逆パカしてしまったことで、私は、同い年の友人たちから非難されました。
逆パカはダメだと。
私は納得できませんでした。
なぜなら、まずこちらが嫌がることをしてきたのは相手で、写真がデータに残ってしまうというどうしても自分にとって嫌な問題を解決するためには逆パカするしかなかったからです。
今なら、自分がしたことがよくないことだったことは分かります。
違う解決方法をとるべきだったということも分かります。
でも、当時の自分には、そこまで考えることができませんでした。
そして、完全に相手が悪いと思っていました。
だから、当時の私は、相手の携帯電話を壊したのに、彼に対して最後まで謝りませんてました。
彼も私に謝らなかったからです。
さて、もし今、自分が、教師として、子ども時代の自分と彼に声をかけるとしたら、何と言うでしょうか。
このように考えることが、原理のUD化をするための原理を導き出す方法です。
次回は、そのことについてお話ししていこうと思います。