【原理のUD(ユニバーサルデザイン)化 連載③】なぜ原理のUD化は物のUD化の問題を解決できるか

原理のUD(ユニバーサルデザイン)化とは何かを考えるための連載の第三弾です。

前回の記事では、原理のUD化の定義を紹介し、その一例として、「問題解決の順序」を大切にするという原理のUD化を紹介しました。

今回は、原理のUD化がなぜ物のUD化の問題を解決することができるのかを考えます。


物のUD化には、次のような二つの問題点がありました。


①過度に合わせることを強いる文化がつくり出され、教員が疲弊する。

②実際にその場で過ごす子どもの実態から手立てを考えずに、一般的にこうすれば誰にとっても良いという考え方でさまざまなことを規定してしまう。


原理のUD化は、この二つの問題点を解決することができます。


まず、①についてです。

物のUD化は、目に見えるところを統一するので、どうしても、できていないと統一しなければならないという強制力が働いてしまいます。
そのため、どうしても、やりたくなくても、やらされてしまう教員が出てきてしまいます。

一方で、原理のUD化は、目に見えないので、そのような強制力が働きにくいです。
良い意味で、相互チェック機能の働きが弱くなるので、教員の疲弊を防ぐことができます。

しかし、相互チェック機能が働かないから無意味であるというわけではありません。
何か困ったことがあったときに、この原理に立ち戻ることができます。
丁寧な話し合いで決めた原理であるほど、原理に立ち戻ることは有効になってくるように思います。


次に、②についてです。

原理のUD化では、子どもの見方についての原理を共有し、その原理を使って子どもをみるようになるので、より丁寧に子どもをみられるようになります。
そうすれば、原理のUD化をする以前よりも、子どもの実態に即した対応ができるようになります。

もしその原理が子どもをみる上で有効ではないとなれば、実態に即して話し合いをし、新しい原理を立て直せば良いです。
そうやって、原理自体も実態に即して練り上げられていくと、相乗効果で、子どもについての理解も、子どもの見方も、どちらも深まっていきます。


このような理由で、私は、物のUD化よりも原理のUD化を進めるべきだと考えます。

では、原理のUD化をするために、原理はどのようにして導き出せばいいのか。
次回は、そのことについてお話ししていこうと思います。

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