【原理のUD(ユニバーサルデザイン)化 連載⑧】「携帯逆パカ事件」から原理のUD化の原理導出へ

原理のUD(ユニバーサルデザイン)化とは何かを考えるための連載の第八弾です。

前回の記事では、「携帯逆パカ事件」後に、私は、同じ年の友人たちから非難されたけれども、勝手に撮影をした相手の彼が謝らなかったから、私も最後まで謝らなかったということをお話ししました。

今回は、このエピソードを通して、いかにして原理のUD化をするための原理を導き出すことができるかを紹介します。


私は、この「携帯逆パカ事件」において、逆パカをしたことについて、彼に一度も謝りませんでした。

それは、彼が、勝手に撮影をしたことについて、私に一度も謝らなかったからです。

もしかしたら、私の親は、相手の親に謝罪をしていたかもしれません。

けれども、私は、彼に対しても、塾に対しても、親に対しても、誰に対しても、一切、謝罪をしませんでした。


ここで、逆パカした私が悪いのか、最初に写真を撮って笑ってきた彼が悪いのかということを、今は問題にするつもりはありません。
私が悪いという考えもあるでしょうし、彼が悪いという考えもあるでしょう。
少なくとも、当時の私は、10対0で私が悪いとみなされて、そのことがとても不満でしたが、そのことについて、ここでどうこう言うつもりはありません。


ここで考えたいのは、なぜ私が、彼に一度も謝る気になれなかったのかです。

当時の私にとっては、順序というものがとても大切でした。(今の私にとってもそうです。)

まず、危害を加えてきたのが相手であるというところが、私にとっては、決定的に重要だったのです。

私が謝れなかった理由はいろいろありますが、その中でも一番大きいのは、先に危害を加えてきた相手の方から謝ってこなかったということです。


このように、私は、「問題解決の順序」に大きなこだわりをもっていました。


さて、このエピソードから何が言えるでしょうか。


このように考えたときに、私は、この自分のエピソードをもとに、指導するときには「問題解決の順序」を大切にするべきであるという結論を導き出します。

つまり、かつて私がこだわっていた問題をもとに、指導のあり方を考えるのです。


これが、原理のUD化をするための原理を導き出す方法の具体例です。


次回は、もう一度、「問題解決の順序」を大切にして指導する方法の話に立ち戻って、この具体例と原理のUD化の関連を確認していきます。

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