運動会・徒競走のジェンダーレスについて
予約投稿をしていたつもりが、
していなかった・・・・!!
失礼しました。
若干遅めですが、
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どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。
共育LIBRARYりょーやん、元教師です。
性的マイノリティーへの認知が広まり、
ジェンダーレスが謳われる世の中になってきました。
学校の制服が選択制になってきているのも、
その影響の1つ。
そして、
そのジェンダーレスの広まりは、
様々なところに広がって、
波紋を呼んでいる様です。
その1つが運動会やスポーツ。
「運動」という面に、
男女の壁をなくしていくことは
果たして「適切」なのでしょうか?
「運動会の徒競走のジェンダーレス化」
から、「配慮」とは何なのかを
考えていく記事にします。
様々自分の意見と照らし合わせながら、
読んでくださればと思います。
徒競走のジェンダーレス
ひと昔前は、男女別の名簿などが、
学校で修正されていき、
男女混合名簿となっていたりしていました。
しかし、この運動会シーズンに、
ある記事が取り上げられて話題となっていました。
それが、
徒競走のジェンダーレスです。
この記事では、
以下のような内容が記載されています。
筆者が教師として勤務していたのは、
約1年と少し前。
筆者の地域では
全くこのような話題が出ていなかったので、
「このニュースの学校だけでしょ?」
と思ったところ、
noteの教員の方の記事でも、
周辺の学校の徒競走のジェンダーレスが
結構進んでいると交流にて伺いました。
「マジか・・・」
というのが正直な感想。
しかし、これは、
世の流れ的にはよいことなのでしょうか。
止めるべきことなのでしょうか。
筆者の考えを述べていきたいと思います。
本質は「合理的配慮」
現在の社会の流れの中では、
今までマイノリティーであるが故に、
虐げられてきた人たちを
配慮する社会にしようという流れであるはずです。
それらを実現するために定められたのが、
「合理的配慮」
です。
合理的配慮とは、簡単に言えば、
「平等ではなく、できるだけ公平に近づける」
ものだと考えています。
つまり、
背の高さによって見え方に違いがあるならば、
高さが同じになるように調整すればいいじゃないか
ということ。
視力が悪い人は、
メガネを渡して見えるようにすれば
いいではないかということです。
2016年に障害者差別解消法が施行されたときは、
学校現場は、まだ努力義務でした。
しかし、令和6年4月1日より、
合理的配慮が義務化されています。
つまり、発達障害とされる子どもに、
配慮をしなければならないということです。
LDの子どもは本人が求めるなら、
テストを口頭で答えてもOKにしなければ
ならないということです。
そうでなければ、
訴えられて裁判で負けます。
この合理的配慮こそが、
現在の世の流れの本質です。
その視点で運動会の徒競走を見てみます。
そもそも運動会が合理的配慮ではない?
徒競走というのは、
いわば短距離走と同じです。
短距離走では性差は生じないのでしょうか。
体力テストの50m走の
小学生の全国の結果を見てみます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【男子】
令和4年度 → 9.53
令和5年度 → 9.48
【女子】
令和4年度 → 9.70
令和5年度 → 9.71
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
思ったより差は少ないですが、
女子の方が平均値は低い。
もし、
女子の上位10%と
男子の上位10%をミックスするという形なら、
公平ではないと言えるでしょう。
男女混同でも、
学年中をタイム順に並べて、
それをバランスよく散らせたなら、
公平性は高いかもしれません。
つまり冒頭の記事の事例が、
本当に男子ばかりが1位なのだとしたら、
運営サイドの配列ミスの可能性があるということです。
ただ、運動会自体を行うことが、
そもそも合理的配慮ではない、
つまり公平ではないという意見もあります。
なぜ体育(運動会)だけは公開されるのに、
算数学習発表会がないのか。
なぜ、
作品展という図工発表会があるのに、
英語発表会はないのか。
なぜ運動会や作品展だけは、
全保護者の前で、
自分の能力をさらさなければならないのか。
運動に苦手意識を持っている子、
視機能や視知覚認知の凸凹上
どうしても運動の模倣が困難な子、
集団行動にどうしても馴染めない子、
様々います。
運動会の練習に参加せずに、
ずっと見ている子どもだっていますし、
本番も参加できずにいる姿を、
全保護者に見られる子どもだっています。
ならどうするか。
1番理想的なのは、
文化祭のようにブースが分れており、
自分が発表したいジャンルを選んで、
そのブースで発表をすることです。
そうすれば、
自分の好きなもの、
得意なものを披露して、
誰かを感動させ、
自己肯定感が上がります。
苦手なものを
わざわざ保護者たち全員に
見せる必要はありません。
まあ、これは理想論です。
筆者は学習発表会でこれをやったのですが、
非常に多くの指導時間を必要としました。
これを実現させようとなると、
とんでもない負担が先生方にかかるので、
内部のしんどさが分かる筆者は、
とてもそんなことは言えません。
ただ、
「公平である」
ということを
はき違えてはいけないし、
合理的配慮が義務化された以上、
これからは常に考えていかなければならないと思います。
運動会の意義
そもそも運動会を行う意味が・・・
という感じになってしまいましたね。
筆者は運動会という行事の存在意義を
常々疑問に思っていました。
なぜそのような考えに至ったかと言えば、
運動会が海軍兵学校から広まったことを
知っていたからです。
要するに、
運動会は戦時中に、
子どもを兵士にするために行われた
軍事訓練の名残なのです。
それと同時に、親御さんの
運動会で我が子の成長した姿を見たいという
気持ちもとてもよく分かりました。
一方で、
令和の現在だからこそ、
運動会のような行事が必要だと
思うこともあります。
現在は、
地域のコミュニティが減り、
お祭りもどんどん減ってきています。
日本人は元来、
神社を中心として村をつくり、
そこでお祭りを行うことによって、
一体感を得て集団を1つにつないでいく
文化があったのです。
だから日本人たちは強固な結束力をもっていた。
現在は、
人と一体感を得る場はほとんど
なくなってしまったように思います。
そういった
人とのつながりが感じられないからこそ、
小学生でもメンタルを病む子が、
急増しています。
令和になってからは、
学年にもよりますが、
大体1クラスに3~4人は
メンタルを病んでいる子どもがいました。
自傷行為、
摂食障害、
不安症、
極度の自己肯定感の低下、
などなど。
そんな影響も考えながら
運動会といった行事の存在も、
色々と考えていかなければなりませんね。
まとめ
冒頭のニュースを読んでいると、
親御さんの声、世間の風潮など、
全て大人の意見が飛び交っている気がします。
「子どもたち本人の意見はどこにあるのだろう?」
そう思えてなりません。
運動会は保護者の為に在るのではなく、
子どもの成長という一点のために存在します。
もちろん、
保護者に喜んでもらうことで、
さらに成長していくのですけれどもね。
誰のための教育なのかを
今一度見つめ直してみてもよいのではないか。
そう感じています。
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明日の記事は、
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