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ダブルバインド大国日本

今日は一段と冷え込みましたね~

筆者の地域では、
夕方になっても吐く息が白くなる日は
なかなかありませんでした。

今は仕事場から帰宅し、
ぬくぬくと過ごしております笑


共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨

教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌

どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


「ねえ、Aの服とBの服どっちがいいかな~」
「Aの服なんか良さそうじゃない?」
「でも私はBの服がいいんだけどな~」
「じゃあ、Bの服でいいと思う」
「は?適当じゃん」

誰しも一度は、
このような会話を耳にしたことが
あるのではないでしょうか。笑

このような会話の場合、
相手が意見を求めたから答えたにも関わらず、

どのような回答をしても
最終的には詰められるような構図が発生します。

このような状態を
心理学用語ではダブルバインドと表現する。

上記のような会話は、
あるあるネタとして笑い話になるかもですが、

実は、
このダブルバインドというものは
場面や視点によっては、
かなり深刻な問題になり得ます。

そして、
この日本という国は
殊更ダブルバインドが多い国な気がする。

そんな、
「ダブルバインド大国日本」という視点で、
記事をまとめていきます。

何か気付きがある記事になれば幸いです。



ダブルバインドとは?

ダブルバインドを日本語に訳すと、
二重拘束のように変換されます。

冒頭の例で言えば、
店の中には他にもたくさん服はあるのに、

「AかBか」という
2つの選択肢しか存在しないように誘導し、

そのどちらも
相手を苦しめる結果になる
という面が
二重の拘束を強要することにつながります。

このやりとりが、
付き合い始めのカップルのような関係なら
やりとり自体を楽しむことができるかもしれませんが、

このような状況が
職場で発生した場合はどうでしょうか。

よくあるダブルバインドの典型例が、

「分からないことがあったら何でも聞いてね」

という、
上司や同僚からの声掛けです。

特に、上司。

この声掛けの通り、
分からないことがあったら聞きに行きます。

すると、

「こんな簡単なことも聞かなければ分からないの?」

と詰められることが発生する。

では、簡単なことは聞かずに、
自分の独断でやるかと取り組んでみる。

すると、

「何で自分で勝手に判断したの?細かく確認するのは基本でしょ?」

と今度は言われる。

じゃあ、細かく確認するかと
お伺いを立てるようにすると、

「君は自分で何も考えられないね」

などと言われる。

まさしく、
どちらを選択しようとも
拘束されてしまう
のです。

本当は、
上司にバレないように
こっそり同僚に確認をする手段もありますし、

強気な人であれば、
「いや、あなたがそう言ったんですよね?」
と反論する手段も存在します。

しかし、二重の拘束で
心理的に追い詰められることにより、
選択肢が2つしか存在しないかのような
錯覚を起こしてしまうのです。

これが続いてくると、
精神的に追い詰められることにより
うつ病や適応障害、パニック障害などの発症に
つながる恐れがあります。

ダブルバインドというものは、
それだけ恐いものでもあるのです。


ダブルバインド=マルトリートメント

マルトリートメントという言葉があります。

虐待とまではいかないが、
教育においての「不適切な養育」
指す言葉です。

「マル」という言葉は、
「悪い」ということを意味します。

子どもの前で夫婦喧嘩を始めてしまう。

子どもの前で、
パートナーの悪口や不平不満
を言う。

兄妹を比較する。

過保護、過干渉な対応をする。

これらは、
虐待と言うほど過激ではないかもしれませんが、
子どもの心理に悪い影響を与えるもの。

虐待ではなくても、
注意すべきものとして
マルトリートメントという括りで
警告が鳴らされているものです。

虐待によって、
脳の前頭葉や視覚野は変形してしまうのですが、
マルトリートメントでもそれが起こり得ます。
(初期の頃の記事にもまとめてあります)

さて、ここからが本題。

この記事のテーマであるダブルバインド。
これもまさしくマルトリートメントの1つ
であると言えるでしょう。

よくある家庭のダブルバインドの典型例が、

「怒らないから正直に言いなさい」

というやつです。

その言葉を信じて正直に言うと、
怒らないと言ったのに怒られる。
もしくは不機嫌になる

かといって、
嘘で隠し通そうとした場合、
それがバレた時には、

「嘘をつくのはいけないことだって言ったでしょう!」

と、こちらも怒られます。

すると、子どもは
どちらを選択するのでしょうか。

それは、もちろん、
嘘をついたり、隠したりする方です。

なぜなら、
それらは毎回バレるわけではないから。

そして、
隠し方がどんどん上手になっていきます。

すると、その子どもが
本当に困っていることに遭遇しても、
親には相談しなくなったりする。

そうなってしまうほど、
ダブルバインドによって
子どもの心は傷つけられていることになります。

しかし、
こういったケースが存在したとしても、
この家庭だけを責めるわけにはいきません。

なぜなら、日本社会は
ダブルバインドに満ちているからです。


日本社会のダブルバインド

日本社会の構造自体が、
ダブルバインドを生み出しやすいものになっている。

そんな典型例の1つに、
女性の化粧の問題があります。

例えば、
高校生までの頃は
化粧に関して校則で厳しく規制される学校が多い。

「そんなものはな、学業に集中するのに必要ないんだ!」

というわけです。

ところが、
社会に出たらどうでしょうか。

化粧をしていなければ、

「化粧をすることがマナーなんです」

なんて言われるわけです。

仕事に集中することにだって、
化粧は必要ないはずです。

現に、諸外国では
化粧は特別な時にしかしない国も多いです。

「じゃあ、学校の先生たちは自分たちの都合のために、ウソを教えていたのだろうか?」

と疑心暗鬼になります。

他にも、学校では、

「真面目に勉強に取り組むことが大事」
「年長者の言うことを素直に聞くことが大事」

と言われ、
指示通り、校則通りに過ごすことが
大事にされます。

しかし、社会に出ると、

「勉強なんてできても仕方がない!それ以外の力が大事なんだ!」

「指示待ちではなくて、自分で考えて主体的に動くことが大事」

などと言われたりする。

「どっちがほんとやねん!」

と思わず誰しもが
思ってしまうのではないでしょうか。

マスコミの報道なんかも、
ダブルバインドのオンパレードです。

特に政治がらみ。

ある人物を批判していたとしても、
その人が世間から認められ始めると、
途端に手の平返しをします。

現在進行形の
フジテレビの問題なんかもまさにそうですね。

一方で、
諸外国の教育はどうなっているか。

例えばスウェーデンの教科書では、
15歳からは「刑罰成人」になり、

裁判にかけられ、
犯罪に対する判決を受けることが
ダイレクトに明記されています。

また、ビジネスや経済という存在は、
お金を取り合うゲーム的な一面があり、

無知な人たちから
お金をむしり取ろうとする側面がある

教科書に書いてあるのです。

だから、
安易に広告や営業といったものを
信じてはいけない
と記されています。

大人の都合ではなく、
教えてもらった内容と社会に出てからのことが
ある程度一致するようになっている。

このような状況であるならば、
ダブルバインドを抱える家庭や子どもは
少なくなるのかもしれません。


建前と本音文化が根源

このダブルバインドが
殊更苦手な人たちがいます。

それが、
ASD=自閉スペクトラム症の人たちです。

なぜなら、
言葉の裏というものを読むことができなく、
文字通り捉えてしまうから。

筆者もASDなので、
働き始めてからは、
散々、日本の建前と本音文化にボコボコにされてきました。

とある書類仕事をやろうと同僚に尋ねると、

「それはそんな重要なものじゃないから適当で大丈夫だよ」

と言われる。

「じゃ、適当にやっちゃお~」

と、「ザ・テキトー」な感じにして提出すると
「指導」が入ります。

「適当でいいって言ったじゃんか!?」

となるのです。

また、
教師というものは、
授業のノウハウを
皆で共有する文化があまりありません。

つまり、
個々でノウハウを蓄積して
個々で研究をしなければならない

少なくとも、
筆者の勤め始めた時期はそうでした。

筆者のNPOの仲間が、
初任者の頃、勤務校の先輩の先生に

「どうやって授業って考えればいいんですか?」

と尋ねてみたところ、

「職員室から教室に歩いていく途中で思いつくよ」

という回答が返ってきたそうです。

試しに、教室まで歩いてみましたが、
もちろん思いつかなかったそうです。笑

「こんなんで思いつくわけねぇだろ!」

とキレていました。笑

だからこそ彼は、
徹底的に授業のノウハウを伝授する
NPOに入ってきたのですが。

学生時代の、

「勉強全然やってないよ~」

が、信用できないのと一緒です。笑

日本社会全体が建前と本音だらけなので、
日本社会は、
根本からダブルバインド文化と言えそうですね。


まとめ

ではどうすればよいのか。

社会全体を変えるのは難しいかもですが、
個人ならできることはあります。

それが、

「言行一致」

です。

言っていることと、
やっていることを一致させる
のです。

子どもや人に何かを要求するのならば、
同じように自分もやる。

口に出した以上は、行動する。

社会の矛盾点を、
子ども相手であっても
言葉を選んで赤裸々に語る。

すぐにはできなくても、
少なくとも現行一致に近づけようと
自分を磨いていく。

そういった大人が増えると、
子どもが大人を信頼するようになったり、

ダブルバインドに苦しむ人たちが
少しずつ減ったりするのではないでしょうか。

筆者自身も、
心掛けていきたいと思います。


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