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「親になる訓練」をあなたは受けてきましたか?

最近は、もっぱらYOUTUBEで
素朴で自然に囲まれた暮らしをする人を見て、
癒しを得ているりょーやんです。

いつか、
作物を育てて、
ちょっとでも自給自足の生活をしてみたいの~ 笑


共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨

教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌

どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


子育てほど難しい仕事はない。

常々筆者はそう思っています。

どんな専門職だろうと、
起業家であろうと、
部下を育成する仕事であろうと、

子育てより難しい仕事はないでしょう。

もちろん、
子育てが得意という人もいるかもですが、
重労働であることは皆賛同してくださるはずです。

子どもは
社会的な規範とは何かを知らないので、
大人が予想だにしていなかった行動を取ります。

親は子育ての練習をしてきていないのに、
いきなり試合本番が始まるのですから
難しく感じるのも当然。

サッカーの試合で、
練習をしてきてもいないのに、
ルールも分からず、
監督やアドバイザーもいない中、
どうやって試合に勝つと言うのでしょうか。

しかし、
現代に限らずとも、
かつての時代を生きた人たちも、

子育てに特化した訓練
受けていたわけではないはず。

その辺りは、
どうなっていたのでしょうか。

今回はそんなテーマにしていきます。
参考になるものがあれば幸いです。



かつては練習試合が存在していた?

もし覚えておられる方は、
自分の祖父母曽祖父母
どのような生活を送っていたかを思い浮かべてみてください。

筆者の曽祖父母たちは、
会社勤めをしながらも、
農業も行っていました。

母曰く、
鶏やその他の家畜も存在し、
学校から帰ったら
そのお世話畑仕事を手伝っていたそうです。

畑仕事は、いわば、
植物という生命を育てる営みです。

家畜を育てることも、
生命を育てる営みでしょう。

時代を遡れば遡るほど、
そのような仕事が
子どもにも与えられていたはずです。

祖父母の時代は、
非常に兄妹の数も多く、
年も離れていたため、

年の大きい子どもが、
小さい子の面倒を見て
「育てる」営みをしていたことは
大いにありえたことでしょう。

大抵は、
複数の世帯で住む大家族ですから、
従妹や姪っ子、甥っ子といった
小さい子をみる必要もあったことが想定されます。

そうやって
たくさんの「練習」を積んだ上で、
大人になっていたと考えられる。

さらに、
自分が親になったときには、
家に子どもにとっての祖父母がおり、
子育てのアドバイスをしてくれたはずです。

親というのは、
つい自分の子どもには一生懸命になり、
厳しくしてしまうものです。

しかし、
バランスが偏ることは
子どもの心に
何かしらの影響を与えてしまうかもしれない。

そんな中、
厳しくされた後は、
こっそり祖父母が甘やかしてくれたりし、
バランスを取ってくれていたのです。

状況を俯瞰的にみて補完してくれる
「選手+監督」
家にいてくれたのですね。

ところが今は、
核家族化することにより、
いきなり試合本番が始まるようになってしまった。

嫁姑問題のようなものから、
解放されて自由を手にした代わりに、
大きな味方を失ったとも言えるでしょう。

そして、
その影響はどうやら一軒家といった
「家の構造」にまで、
影響を与えているようです。


日本家屋と現代の家の違い

核家族化するにつれて、
家の形もアップグレードされるようになってきました。

かつての日本家屋のような、
木造住宅は減ってきています。

実は、この点において、
日本人たちは決定的な間違え
犯してきたようです。

核家族化して、
プライベート空間を大事にする風潮ができ、
「子どもの部屋」といったものが
与えられるようになりました。

欧米を習って、でしょう。

すると、
子どもが自分の部屋で
何をしているのかが分からなくなってしまった。

そうやって密室をつくったあまり、
家族の交流が減り、
心の隙間が生まれるように。

部屋の中で実は、
とんでもないことをしていて
殺人にまで発展してしまったという事件が
相次いだ時代がありました。

お金持ちになり、
広い家を何の考えなしに建てると、
家族の仲が崩壊していったという例は
山ほどあります。

広い家であるということは、
意図的に家族が一同に集まるような
仕組みをつくらなければ、

物理的な距離と共に、
心理的な距離
離れていってしまうためです。

空間が広くなればなるほど、
それに比例して心のエネルギーは
多く使わなければならないのです。

かつての日本家屋の場合は、
ふすまなどの戸はありましたが、
音は駄々洩れで、
何をしているのかが大体分かりました。

家には両親以外に祖父母や
兄妹がたくさんいるので、
複数の目が存在しました。

居間という場所がきちんと機能しており、
家族が一同に集まるようになっていた。

つまり、
日本人は日本人流の、
家族形態に合った家を追究してきたのに、

何の考えなしに、
こぞって欧米の真似をしてしまったから、
その日本のシステムが破綻してしまったのです。

敗戦後のアメリカ先導統治の流れもあり、
そうせざるを得なかった部分はあると思いますが。

つまり、日本人にとって、
非常に合理的であるように日本の家は
つくられていたのです。

では、
日本家屋とは対を成す、
欧米の家の事情はどうなっているのでしょうか。


欧米の家に存在していた秘密

日本の決定的な間違いは、
欧米の核家族化に至るまでの
知恵工夫を学ばず、
形だけを真似てしまったところです。

欧米の家にも、
子どもの部屋は存在しています。

しかし、
ここが大きな落とし穴なのですが、
自分の部屋には、
基本的に入らない
というのが
欧米の家のルールのようなのです。

特別な用事がある時だけ、
自分の部屋に入ることが許される。

それ以外は
リビングにいて、
家族と一緒に過ごすことが
当たり前とされていた。

加えて、
自分の部屋に入る時は
戸を締めずに開けっ放しにすることが
ほとんどの家のルールであったようです。

そして、
15~16歳になったら、
自分の部屋の戸を閉めてよいことを
許されていた。

ただし、
ノックをしたらすぐに出るように
ルールをきちんと設けた上で、です。

個室を設けるのは
自立する上でも必要ですが、

不用意に使わせると
家族が分断される。

家族というシステムが
機能にしくくなることを知った上で、
家の構造を決めていたのですね。

その上で、
欧米は歳を重ねるにつれて
自立していくような社会構造になっています。

対して日本は、
子どもにはあまり背負わせないようにする
という社会通念が主流です。

それでも、
幼少期から家の仕事を手伝い、
花嫁修行といった厳しい関門があることで、
親になるまでのステップが用意されていた。

今は、
勉強や仕事といった
生活能力とはかけ離れたものに時間を使いすぎ、
いきなり子育てが始まってしまう。

この辺りが
子育ての難易度を
上げることになっているのだろうと感じます。


現代でもできる工夫

では、
現代ではできることがないのかと言えば、
もちろんそんなことはありません。

子どもが主体的で、
賢い子に育つ家の共通点は、
テレビがないことであると主張した
家庭コンサルタントもいます。

そこまでではないにしろ、
家族の会話が遮断される活動は
一定の制限を求めることが大事であると言えそうです。

そして、
ここだけは譲れないという
絶対死守の防衛ラインを敷く。

現代で言えば、
スマホやタブレットをもって、
自分の部屋で戸を閉め切らせない
ことであると
言えそうです。

もちろん、
一定の年齢を過ぎると
そうはいかなくなるでしょうから、
それまでに家の文化をつくること。

家族一同が、
居間に集まって時間を共有するように、
意図的な時間をつくっていくことが
大事になってきそうですね。

日本家屋や欧米の核家族の知恵から、
そんなことが学べそうです。


まとめ

筆者が
イタリア人の友人の家に泊まっていたとき、
カナダでホームステイをしていたとき、

確かに家族が居間で集まっているのが、
当たり前という空気感がありました。

一方で、スマホなどの普及や、
子どもたちの気質の変化から、
欧米諸国でも家が機能しなくなっている事例は
増えている気がしています。

今一度、

家族とは一体何なのか

家族というシステムは、
どうしたら機能していると言えるのかを、
見つめていく時期に来ているのかもしれませんね。


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共育LIBRARYりょーやん元教師






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