福田翁随想録(4)
人間の生命は地球より重い
石川啄木が十七歳の時に綴った日記『秋韷笛語(しゅうらくてきご)』に、
「惟(おも)ふに人の人として価(あたい)あるは、其(その)宇宙的存在の価値を自覚するに帰因す」
という一文がある。さらに『林中日記』には
「天を仰いで見よ。幾千幾万と数知れぬ星――この地球もまた何万里の外から見ればやはりあのような星の一つだといふ」
と、綴っている。
目を天空に寄せ、星と星との間の引力関係の均衡が破れれば「星の軍の大喧嘩」が始まるのだろうと、詩人らしい書き方をしている。
宮沢賢治は啄木より十年後れであるが、名声を挙げていたこの天才歌人の影響は受けていたことだろう。賢治の『夏夜狂燥』に「北の十字のまはりから/三目星の座のあたり/天はまるでいちめん/天の川はまたぼんやりと爆発する」という詩句がある。
星と星の衝突を危ぶみ地球の運命が思いやられるという啄木の心配は、宮沢賢治も抱いていた。
なんだかノストラダムスの予言のような感懐だが、それよりなにより私は次の児童詩にもっと驚かされた。
わたしがうまれる前
小学三年 酒井美奈
わたしがうまれる前
わたしはかみ様の所にいたんだ
雲でできたテーブル
星のかけらで作ったフォーク
月の光のジュース
みんなかみ様が作った物ばかり
わたしはどこに行くか地図を
みながらこう言った
「アメリカは広くて
まいごになりそうだ
日本は小さいから
ここにしよう」
次にママを決めたんだ
そしてかみ様に
「さようなら」
をしてわかれてきました
今はとっても幸せです
(青い窓の会・佐藤浩/ぱるす出版)
宇宙の神秘に迫れるのは子どもなればこそで、大人の方が教えられる。
性教育と称して、生命の誕生を精子と卵子の物理的結合から説き始め、〇・五ミリグラムの受精卵が十か月の間に平均三二五〇グラムに成長し、体重が五四〇万倍、身長が二三一二倍になって出産されると教える。
私はこれだけに止まっているのは偏っていると考えている。四十六億年といわれる地球誕生以来絶えることなく続けてきた生命の継承の神秘を伝えていないと思っている。
生命に欠かせないのは二酸化炭素と水であり、炭素、窒素、酸素がこの素材となっている。これがたくさんあるのは太陽系では地球と火星だけといわれているが、このような元素がどこで発生したのかは謎に包まれている。
私は昭和三十年代放送の仕事をしておりながら、なぜか生命の起源について強い関心を持っていた。ちょうどそのころソ連からその方の世界的権威であるオパーリン博士が来日し、東大医学部で講演した。聴講者は医者ばかりで部外者らしい者は私以外いなさそうだった。博士は元素を操作して「液滴(えきてき)」という生命を形成する前段階のようなものを研究室で創造したことで有名だった。
生命誕生の前に無機的前段階があったのであり、それを考えると四十六億年などという短い時間でなく、遥か先まで遡らなければならない。むしろこうなると物質を離れた無限の領域に参入するといってもよいのかもしれない。
われわれは唯物的な考え方に慣れてしまっているので平気で従来の性教育を認めている。
生命誕生をテーマにしたテレビ番組で受精の瞬間を見たことがあるが、精子と卵子が合体してからの成長は星雲の誕生と相似していた。元素の衝突の繰り返しによって有機物が形成されるのだろうが、それ以前となれば影も形もない、なにものもない漠としたイメージしか浮かばない。
やがて生命が誕生し、姿形が現れ、多種の種に分かれ、いつしか種の保存維持、増殖のための生殖が行われるようになり、今日に至る。
こう考えてくれば、誰かがいつぞや言っていた人間の生命は地球より重いというのは妙を得ている。
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