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 読書のためのデバイスとして Kindle を使う理由

毎日、Blogを書く習慣をつけるというのは、生きる上で結構大事かもしれない。インターネットに疲れ、SNSに疲れ、人付き合いに疲れ、流行風邪で人間関係が希薄になったときに、ちょっと生きるのが楽になったなと思う側面と、いやちょっと人が恋しいという側面が出てきているように感じる。誰かに何かを伝えたい、できれば反応が欲しいからちょっと何かを書いてみるというモチベーションだ。

流行風邪の影響でちょっとした時間ができたことで、そこの時間をどういう風に使ってきたかと考えたとき。やはり、読書をしたという感じになっている。

そもそも、僕は、本の虫というわけではなく、どちらかというと本を読むのがあまり好きではなかったほうだ。それでも、実家には、本棚があって、たくさんの本に囲まれながら生活した。夏休みには、町のおおきな図書館に連れていってもらったり、いろいろな本を借りたり、たくさん本を読んだ記憶がある。

本を読むと人の考えに触れることができたり、自分の生活の中では体験できないことに触れることができる。この世の中には誰一人として同じ人はいない。架空でもそのストーリーのなかに筆者の背景が刻み込まれるのが常だと思う。だから面白く感じる。それは、小説でも、漫画でも、技術書でも同じ。

さて、タイトルに書いている通り、なんで僕が Kindle で本を読むかについて、僕は、昔からデバイスに囲まれて生きてきた。そのデバイスが生活に溶け込んでいく中で、デバイスの良いところ悪いところを感じながら、使い方の取捨選択をしてきた。10代、20代のころは、疲れ果てて寝るっていうことができたけれど、最近は、どうもそういうわけにはいかなくなっている。新たな刺激を受けることが難しいので、脳全体をうまく使えずにいる気がする。だから、新しい刺激を受けるために、寝る前に本にDiveする。

もともと Kindle Voyage という8世代kindleを使っていたが、なぜか、放置したまま、寝室にiphoneを持ち込んでいろいろな調べものをしていた。そうすると、寝るのにすごく時間がかかる。そして、脳がピュアに疲れるというよりも、眼精疲労+脳がつかれるという状態になっていた。そういうことを感じたので、数か月前からKindleを引っ張り出してそれで読書をしているというわけだ。

デバイスの取捨選択なんて、Jobs から言わせてみればナンセンスなんても思われるかもしれないけど、数年前からデバイスからどうやって離れようかと考えていたりする。できれば、デバイスがなくても物事が進む世界観が理想だということを多くの人に語ってたりする。それは、AIの実装だったりIoTの実装(もしくはWeb3とか?)するわけだが、まだまだ、理想とする世界をつくるための社会実装には至ってない。いずれ自分もその世界で製品づくりをやりたいと思っている。

さて、デバイスの良いところもあれば、生活に悪影響を与えている部分もある。際限なくコンテンツが生み出される中で、それに時間を使って自分の身を滅ぼしている感覚になっている。それでいいという人もいるけど、僕はそうではない。だから、Kindleというデバイスしか寝室には持ち込まないルールで生きている。e-ink だから幾分スマホよりはましだろうと思う。そういえば、寝るまでの時間が短縮された気がする。

また、新しいデバイスとか、生活の中に取り入れていることとか、雑多に紹介する。アウトプットは心地よい。

では!

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