読書日記『文豪怪談ライバルズ!桜』(東雅夫編/ちくま文庫)
そろそろ花の季節。
ということで、こちらの『文豪怪談ライバルズ! 桜』を読了した。
名アンソロジスト東雅夫氏によるテーマ別のアンソロジーで、『刀』『鬼』に続く三冊目。
桜にまつわる名作怪談(短歌、詩、評論含む)が18編収録されている。
以下何作か、抜粋しながら見ていきたい。
「桜心中」泉鏡花
――「貴女は?」
「非情のものです、草木です、木の幻です、枝の影です、花と云ふの
は、恥しい、朧をたよりの色に出て、月に霞んだ桜ですよ」――
泉鏡花の文章は、何度読んでもとっつきにくい。
冒頭に泉鏡花を持ってくるとはチャレンジングな……などと思いながら、しかし、読み始めると、いつのまにか鏡花の世界に引きずり込まれてしまっている。
全くもって、あやかしの文章。
間もなく伐られることになった桜の木の精と成り代わり、夜の公園を楚々とゆく婦人の姿が美しく妖しく頭の中に浮かんで、離れない。
「桜の樹の下には」梶井基次郎
――桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。――
桜といえば、この作品は外せない。
高校時代、国語の教科書に載っていた「檸檬」がきっかけで梶井基次郎を愛読するようになった。
以来、「檸檬」「Kの昇天」、そしてこの「桜の樹の下には」の三作は何度読み返したかわからない。
そしてこの作品は、読み返すたびにいつも「こんなに短い小説だったっけ?」と新鮮に驚いてしまう。
文庫本のページに直すと、わずか4ページ。
その中に描き出されたイメージの豊かさが、実際より長く思わせるのだろう。
安全剃刀の刃、桜の樹の下で腐乱して水晶のような液をたらしている屍体、いそぎんちゃくのようにその液体を吸っている桜の根、空に舞い上がる薄羽かげろう、産卵を終えた彼らの墓場……そして、桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たち。
何度読み返しても、生と死があやうく交錯するこの世界に魅せられてしまう。
「桜の森の満開の下」坂口安吾
――ただひっそりと、そしてひそひそと、花びらが散りつづけているばかりでした。
彼は始めて桜の森の満開の下に坐っていました。いつまでもそこに坐っていることができます。
彼はもう帰るところがないのですから。――
坂口安吾はそれほど読んでいないのだけれど、「白痴」とこちら「桜の森の満開の下」はとても好きな作品。
続いて収録されている評論「白痴と焼鳥と桜」(高田衛)で教示されているように、いろいろと深い意味を考察しうる小説である。
が、それを抜きにして、満開の花の下で繰り広げられる殺人、略奪、首遊びという絢爛たる残酷絵巻にただひたすら浸りきるのもまた良し、と思う。
「桜(抄)」岡本かの子
桜づくしの短歌の一群。
好きな歌をいくつか。
咲きこもる桜花(はな)ふところ一ひらの白刃(しろは)こぼれて夢さめにけり
ひさかたの光のどけし桜ちるここの丘辺(おかべ)を過ぐる葬列
わが家の遠つ代(よ)にひとり美しき娘ありしといふ雨夜(あまよ)夜ざくら
さくらばな咲く春なれや偽りもまことも来よやともに眺めな
桜花ちりて腐れりぬかるみに黒く腐れる椿がほとり
十年(ととせ)まへの狂院のさくら狂人(きちがひ)のわれが見にける狂院のさくら
一首一首、趣が違う。
同じ桜でこれだけ歌を詠めるものか、と圧倒された。
読んでいるだけで、桜の木々の中を立ち迷う気持ちに。
「平家の桜」赤江瀑
――思い出す。〈旅の終わり〉、そんな言葉があったことを。〈終焉の地〉。いい言葉ではないか。
なにかがこれから僕のうえにはじまるだろうと考える、そんな暮らしにもう僕は飽きはてた。
これで終る、もうなにもはじまらない、はじめなくてすむのだと考えるこの平安。――
赤江瀑は私の偏愛作家のひとりなのだが、ことに「平家の桜」は大好きな一編。
三年間の浪人生活の末にようやく志望校に合格した青年が、旅に出る。
その旅先で偶然に行き着いた「平家谷」を、自らの「終焉の地」と思い定めてしまう。
まさにこれから人生が始まろうとしている若者――人生を捨てる必要など全くなく、そんな谷がこの世にあると知るまでは何の屈託もなく笑っていた若者――が、なぜ、そんな結末を選んでしまうのか。
その感情の機微は、いっそ不親切と言っていいほど説明されていない。
けれど、しかし落人伝説の残る「平家谷」、そこに見事に咲いていたという桜の花々……という舞台装置によって、その心情がいつのまにか腑に落ちてくるのが不思議。
こんな谷があるなら行ってみたい、と少し思ってしまう。
そこに桜が咲いていても、あるいは咲いていなかったとしても。
ほかの収録作品は、以下のとおり。
「山桜」石川淳
「桜川」中上健次
「消えてゆく風景」日野啓三
「ウバザクラ」小泉八雲/円城塔
「十六桜」小泉八雲/山宮允
「因果ばなし」小泉八雲/平井呈一
「花の下」倉橋由美子
「花の部屋」倉橋由美子
「人形忌」森真沙子
「さくら桜」加門七海
とりどりに咲き誇る桜のアンソロジー、楽しく堪能させてもらった。
ところでこのシリーズ、今のところ三巻までだが、続きは出ないものだろうか。
同じく東雅夫氏による『文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション』(汐文社)のように、あと何冊か続いてほしいな、と思う。
『文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション』ですでに用いられたテーマは、「夢」「獣」「恋」「呪」「霊」(第一期)、「影」「厠」(第二期)。
これらと重複しないテーマで、私が思いつくのは「月」「時」「城」……など。
考えてみれば、他にもいろいろと出てきそう。
想像してみるだけで楽しい。
(了)