木下長嘯子「うなゑ松」原文
やへ/\のおとうとに、三となつくめるは、のちすみける人の、みたりにあたれるなるへし。この君うまるへき月みちて、母おもくわつらふことありしかは、いかならん、もゝにひとつも、えいきとまらし。かたき命成けりとわひあへるに、思ひのほかたいらかにて、あと/\さへこゝちさはやかなれは、いとよし。うちつけことする女共は、いてやむつきの中より、おやに孝ありてもさしいて給へること、いひはやす。したしきかきりは、門楣のよろこひなときこゆ。とし月ふるまゝに、らうたく生たちて、ことし十七になりぬ、かみきよらに行ゑなかく、まかふすちもみえす、いとおかしけれは、母めのとかきやりつゝ、たかきやまとまもりあけても、なをあかすあたらしきさまをみしらん人もかな、ゆつりきこえて、出入もこゝろゆくはかりあらまほしく、仏神にもあけくれいのりしを、去年の卯月のはしめつかたより、つねのさまなから、物くうことをうるさかれは、萬にこれかれとすゝむるを、露見いれす。なつはたれもさること、しはしこゝろみるに、いやまさりかほなれは、おとろきて、いそきくすりのこともてあつかふをわさにて、月日たてと、いさゝかをこたるけしきもなし。水無月のころほひは、つちさへさけて、いみしくてれる日影に、いとゝなよ/\とふしくらして、よくこえたるものゝおもやせ、まみいとたゆけなるを、みるこゝちおもひやるへし。あつさもかきりあれは、やゝ秋の初風ふき立、荻の上葉うちそよく夕暮なとは、すゝしきにもよほされて、たま/\まくらもたくるおりもあるを、かきりなくうれしとおもふ。雁のなきわたるにも、我かとこよこそかなしけれと、ふることのつゐてによめる
いさゝらは もろこしまても 尋みん かゝるうきみの たくひありやと
うちすしゐたり。はきの下葉色つきひとりある人のいねかてしるく、よはりゆく虫のこゑ/\あはれにこゝろほそし。しくれあられかちに、雪霜のきえやすきをなかめても、たゝみのうへのはかなくあたなることをのみきこゆ。きのふといひけふとくらすほとに、いつしかとしもかへりぬ。む月はことたつとて、人ことにけしきことなるよそひともひゝきのゝしれと、このひとのいとゝなやましくうたてあれは、みゝのよそにて、いかにせん/\と、あからめもせす、つとそひつゝなけくよりほかのことなし。のきはの梅のかつさきそめたるを、めのわらはおりて、君ならてはとみせたりしかは、かほちかくひきよせ、うれしけにもさきたるはなかな、色よりも香こそあはれなれ、我はかく、けふあすとおほゆるを、けに此世のほかのおもひてこれならんかし、さくらはまたしくてみさらんそくちおしきなと、おもひいれたるかほのにほひ、あらぬ人なれとさすかになつかしからすはあらす。二月の中の五日にや、いまはのきはと見えし。たれ/\と人あまたよひすへ、つゆのかたみもをかんと、手なれしてうと、なにくれとはかなきもてあそひまて、かす/\にとりいて、につかはしくそれ/\にとくはりつ。ひさしくみやつかへし、うなゐのちかくあるをみやりて、たはふれなから、日比はとかくさいなみ、あそひかたきにせしを、うくもむつかしくもさそおもひつらめ、されと我なくは、いつちおはしけん、あはれとしのふときもあらんかしといふを、きく人みベなきも玉しゐもきえうせぬ。いかなる岩木もえたふましく、かみなかしも声をあけてひとしくさとなきけり。翁と母手をとらへて、よひいけ/\、なをいはまほしからむことあらはのたまへ、こゝろのうちはるけやらぬはつみふかしなといへは、うちうなつき、我をはけふりとなし給な、それなんこゝろにかゝる、先立てふたりのおやになけかせたてまつらん心うさ、よみちもやすくはゆきやられし、またやまひ少ゆるみあるおり/\は、辞世の哥こゝろにかけしを、よみをかす成ぬると、あね君のたゝならすおはして、ちかきほとにうませ給へらむちこの、めつらかにおかしからんかほつきみすなりなむ、いと、残おほかる、さならてはなにのおもひをくことあらん、かまへてなきからをそこなはておさめてん、もしたかひもそするとうしろめたけなり。されはよこゝろやすくおほせ、この山のほかへはいたさし、ちりはいともなさて、つねに君たちくしてあそはしつる、举白堂のそこ/\にはうふるへし、翁物まなひうちやすむかたなれは、なくてもわかかたはしははなれし、こけのしたにもさおもひ給へ、遺言ゆめたかへしと誓いへは、よろこひてねかひいまはみちぬと手をあはす。ものなといひやみて、つゆまとろみ入たるに、いさゝかけしきなをりて、よみかへりぬるこゝちしなから、なをたのむへきものにはあらす。四五日ありて、初桜のおもしろきを、
人のもとよりおこせたるに、とくゆかしかりつるものをみせんと、花かめにさしをきたれは、うちなかめてはやさきにけり、春のゆくゑもしらぬまにと、ことの葉ことにしのはるへきふしをとゝめ、はかなき筆のすさみにも、あはれなることをのみかきをけるは、長世のかたみにもみよと成へし。つゐにやよひの中の五日、うらしまか子のはこあけしくやしさ、なにゝかにん。遺言たかへす、かの堂のうちにおさめ、あととふわさなといとなむを、とまりてみる老のいのち、かへす/\つれなし。今禅師名つけて、豊臣氏、春光院万花紹三といふ。日数はすくれと、もはら夢にもあはねは、なにかし相如かねられぬいをもとなけきけんことはり也。杜五郎とやらんをはまねはねと、この山に入て後、廿とせにもなりぬらん、いまたしはの戸ほそのほか、足ふみいつるかたもなく、ひたふる世にもましはらて、ひとりつれ/\と こもりゐたるなくさめに、あけくれこのひとをまつはし、身のうれへをもわすれにき。いつならんはかなきあらましことに、いまやかて母とひとしくたちならひてむ、もしすくせといふものにて、ひとひふつかちもへたゝることあらは、とりのあとはかりのたいめんは、ほいなくわひしからん、いかゝおほすとたはふれしを、みつからもかうならはしきこえてと、物思はしくおほとかにうちいらへしおもかけ、いつの世にわするへしともおほえす。ふるき枕、きなれし衣さなからのこりて、なみたのつまとなりにけり。にはの草木、池のたゝすまひをみるも、物ことにおもかはりして、たゝあらぬ所にきたらんこゝちそする。せめて二十首のやまとうたに、かたゐ翁の餘哀をうつし、かれか香供にもそなへは、なき玉やうくると、みたりこゝちおさめすなから、筆にまかす
たれもとへ はかなく見えし 春の夢 まことかとたに かたりあはせん
こそとふし ことしとおきぬ 床の上に 残るまくらの ありてあにそは
いへはえに けにそかなしき いまはとて たふさとりつる 夜はのおもかけ
をくれしの わかいつはりも はつかしく けふは七日に 成にけるかな
夜のつるの やみになくねを いかはかり こけの下にも かなしとやきく
こゝろある ふてのすさみは なき跡の かたみかてらや かきもをきけん
ときのまも みねはいつらと さはかれし 人にをくれて いくかへぬらむ
われを君を くらさらんとは 思ひきや さためなき世の ならひかなしも
情なし いつち嵐の さそひけん にほひもあへぬ 花のすかたを
人の世に くらふの山の さくら花 はなは中/\ かせもまちけり
いまはたゝ そをたにかたみ とはかりも なみたくもらぬ 俤そなき
いつくにか ありとしきかは なき人を 野くれ山くれ ゆきてたつねん
おもかけは ありし世のこと 身にそひて またなき人 とおもほえぬかな
たかへすよ 雲とはなさて こけの下に ありとたのめと いひし一言
くろかみも なかゝれとのみ かきなてし なと玉のをの みしかかりけん
なみた川 あふ夢もかな せきとめて さらぬわかれの しからみにせん
人はやすく かへらぬみちの ことはりに なくさむれとも われそかなしき
わか為は むなしき玉を よふことり なをよひかへせ してのやまちに
花さかは もとあらの小萩 あきみんと 春のまかきに うへてしものを
なき人を わするゝ草は こふれとも 尾花かもとの なとしけるらん
ふるき枕 古きふすまの うつり香も かはらてのこる わかれかなしも
しての山 わけもならはぬ 道しはの つゆもろともに きみやこゆらん
いかにせん 春の光をなかめても こゝろのやみの はれぬおもひを
右をはり三首は、母かうらみにてなんつふやきける
寛永四年四月日 長嘯
吞声死別有誰遮 挙白堂前桜樹花
鳥羽観頭松葉月 同遊一夢不堪嗟
同
一日郷人欲去郷 帰期相約不山長
其朋臨別猶消魄 況此時情何易量
つねにすみける所は、つゆかはりたることもなきに、たゝ人ひとりそみえさめる
よりゐけん 稹の柱は それなから 人はまたとは みえぬやとかな
とまれるおもかけのみあるしかほなるもいふかひなし
ものおもへは 一夜にもまた うとき哉 やゝみなれぬる しらぬ翁の
とあらまし かくあらましの はかなさに くひのやちたひ おつるなみたか
いまはとて きえなんつゆの 夕へこそ なき人こふる かきり成けれ
うつつとも 夢ともわかん ときまては なき人をわか なき人にせし
夢かとそ なをたとらる おひらくの 子はさきたてん ものとやはみし
うらめしな いかなる世より おやにこの さきたつみちの ありそめぬらん
おもひつゝ ぬるよもあふと みえぬかな 夢まて人や なき世なるらん
あけくれに そのきははかり なけかれて かきりのさまの めをそはなれぬ
ねかはくは 世々をめくりて おやとならん またも子となれ あらぬうらみに
あるをおもひ なきを忍ひて おつれ共 なみたにふたつ いろはなかりき
なみたこそ おひをはしらね うき度に ものわすれせす 袖ぬらしつゝ
日に千たひ をとつれはせん いきてあらは たゝかりそめの わかれ成とも
おさなくよりなやみかちに、たひ/\からきいのちのかれてありしかは、さりとも
とたのみゐたるを、かうあへなくみなしつ
おひたてし このてかしはの 二葉より とにもかくにも あたにはなれぬ
ものことにかなしくわすれかたけれは
あらぬやと あらぬ草木に むかはゝや さてもそ人を しはしわするゝ
なき人を わすれぬもうく わするゝは うきかうへなる うさにそ有ける
くちにいはるゝまゝなれはなるへし
おひらくの このはかなさに いつまてと ありふるも世に おもなかりけり
ほとゝきすのはしめてなきけるに
ほと、きす あなうらやまし なき人の かきねはいまも とひてきつらん
さならても、子をおもふならひは、人ことにまとふ道なるを、ましてなきあとのやみにくれし、老のこゝろすへていかにせんともしらす。卯月の廿日あまりにもなりぬ。なにとなく立出て、あをみわたりたる木かけによりそひたれは、せみのもぬけたるからをみつけて
ゆくゑなき からはとめても なくさまぬ うつせみの世をなにゝたとへん
池のほとりなとあそひありきしことおもひいつるに、たゝゆめとのみおほゆ。あの石のもとにたゝすみて、さうふおもたかのしけりあひたる中に、ひしのましりたるうき葉を、めのわらはにすこしとらせて、おかしとみやりたるよそひも、ふとうかひぬ。みくさともに、なへてならすみたれをけるつゆの玉かとみゆるにも
さもあらは あれきえにし露は 蓮葉の たまとのほらん ことさへそうき
うつりけんかけもと、めぬいけ水はさらになみたをた、へつるかな
けつりすてつる、おちかみのありしを、とりあつめてけふりとなす
なみたやは かゝれとなてし くろかみの あらぬすちにも なりにけるかな
にたる人 また世にあれな たつねゆき てなくさむはかり みてもかへらん
せめてわか ぬるよな/\は あふとみえよ 夢にやとかる きみならはきみ
去年よりはやまひにふしくらして、いとゝなかき夜をあかしかねつゝ、なきぬやいかにとたひ/\とひしとりのこゑの、いまきくもなをかはらぬはあはれなりける
いまはたゝ 声をかたみの 鳥のねに 我もうちそへて なかぬ夜そなき
百ヶ日に
はかなさは またあけぬよの まとひにて けふ十/\の 日はめくりきぬ
すへて人を いかなるときに しのはさらん あはれ日又日 あはれ夜又夜
秋立ける日
荻の葉に ことしもなかは ふきわけて 袖のつゆとふ あきのはつかせ
ならはしの ものとなふきそ 人の身も さのみはたへし 荻の上風
荻の葉の うちそよくにも 秋きぬと おとろかれぬる 人のわかれち
ほにゝ灯をかゝけて
袖のつゆも おもひかけきや 君をけふ なき人かすに またんものとは
うちむかひ 仏のまへの ひとりこと さてもわれをは をくらかしけり
やう/\草村のむしのもよほすほとに、すゝむしのふりたて、声おかしくなきいつるに、とり分て此人のあはれといひしものゝねそかしと、まつなつかし
世にふれは またもきゝけり なき人の こゝろとめつる すゝむしの声
あはれとて きゝけん人の ふるつかに なきでたむけよ す、虫のこゑ
草の原 いつれあはれと きゝわかん わかなく声と すゝむしの音と
きけはまつ なみたふりそふ こゝちして うきかたみなる すゝむしの声
いなつまのほのめきける夕へに
みるとなき やみのうつゝの 稲妻や はかなき人の ゆくゑなるらむ
はかなくて またみぬかけは 君なれや そよいなつまも なをてらしけん
いねかてにひとり月をなかめゐたる、夜の長くなるまゝにのきふかくも指いらす
みる人と おなし心に ふけぬれと ねやへもいらぬ 秋のよの月
いける身は つらしやうしと 云つゝも また月はなを みてそすきぬる
こその秋の この比まては うきなから きりまの月を ともにみしかな
あらき風 ふく夕暮は まつそおもふ いまよりたれに あてしとすらん
もろともに こそみし月や さそふらん あまのとわたる 人のおもかけ
風になひく あさちかすゑの つゆの世に なき人こふる われもいつまて
雪のふりける日
はかなかり 人によそへて 消やすき 日かけの雪を あはれとそおもふ
なき人を こひよはる身は いく世しも あらしとそみる 庭のしら雪
この比はそらさへ風あれて、こほりかさなれる池のおもに、ゆきさへいたうつもれり。まことや、なき人のありし世に、かゝるあした、ひと/\おりたゝむとすれは、ことのたとひに、うすきひをふめらんやうになとこそいひならはしためれ、あやうしとせいしけんこゑ、しらすこゝもとにあるにや
まつかせを たゝそのおりの 声と聞て ゆきはますみの いろかとそおもふ
世をそむかんなとおもふこゝろたえす
ふかくいりて 子をおもふみちを 尋ねれは むへもよしのゝ おくに有けり
世のうきに いまはなみたも つくは山 はやましけ山 つゆやからまし
としのくれに
はるちかみ あらはといとゝしの は机て なけきくはゝる としのくれかな
詠一回忌長哥
いにしはる かすみの衣 さかさまに
きてし月日の ゆきめくり いつしかけふは
あつさゆみ やよひの中の 五日にも
なりにけるそと あはれなれ あととふ法の
ともし火の ひかりさやかに かゝけなし
わかやの内に ありとある 人のかす/\
こと更に いもゐをしつゝ こひしのひ
仏につかへ さくらはな おりたむくれは
かほりあふ かぅのにほひも よそならす
みたのみくにそ おもほゆる またうへもなき
こゝのしなの はちすの花の うてなにし
ことあやまたす むまれよと いのるこゝろは
ひたゝくみ うつすみなはの ひとすちに
思ひ入江の たまかしは かはかぬそての
ためしかも としへぬるかと なけきあまり
せめてわするゝ くさをたに つまんとすれは
住よしの きしに生てふ たねたゆる
ときにしあへは かひもなし かへす衣の
ゆめちまて ゆるさぬ関の せきもりは
たれあふさかに すへつらむ しなへうらふれ
くさも木も すへてむかへる ものことに
そのおもかけは まつそたつ あないきつかし
これやこの ひのもとならて ありときく
みゝらくの嶋 たれかしる われにをしへよ
なき人に あふとかいへは なみちわけ
たつねもゆきて はるけえぬ ありしわかれの
うきゝはを いまひとたひは かたるへく
身まてあらぬと たとられて けぬるものとも
しらつゆの おくとはもとめ ぬることに
いつちかとのみ またるらん 雲風さはき
あまのはら ふみとゝろかし なるかみの
すこき夕は ふるつかに いそきとふらひ
うつもれし 苔のしたにも まとふやと
ちからをそへて おもひやる なをくやしきは
かけろふの あるにもあらぬ みのほとを
千世もや千世も ありへんと 行末かけて
とにかくに なとかおり/\ いさめけん
あさまの山の あさましく いけるかきりは
ふるさとの よもきむくらに ましりぬる
たゝつれ/\と ふかきねやに ひとりなかむる
やまとうた したしき友と くちすさみ
おやのかふこの まゆこもり こもれるからに
おほかたの いもせの中も またしらす
子のひとつたに とゝめねは 何をよそふる
かたみとて をのか愁を なくさめむ
やまひの床に ふししつみ たえすもむねを
くるしみし その有さまの かなしさを
めにみす/\も いかゝせし ひとゝせあまり
うはたまの 夜ひるわかす たちさらて
あとよりたすけ まくらより なつとはすれと
をのつから ひと日ひとひに よはりゆく
けしきもいまは しるかりき たのむことゝは
おひらくの いのちにかへて とゝめんと
ねかひをすてぬ 八百萬の 神にちかひし
ことのはも うけすなるみの うらちとり
立ゐになきて ふみをける よしやはかなき
あとなりと 後みん人の 情ありて
かたりもつたへ いひつかは なかれての世の
名やはくちせん
反哥
わかなみたさらぬわかれに袖ぬれしこそのけふにもおとりやはする
三回忌に
なみた河なかれてはやき月日かなみとせの夢をおとろかすにも
寛永六年三月十五日
底本:『近世文藝資料12 長嘯子全集 第二巻 和文集』