木下長嘯子BOT

安土桃山時代〜江戸時代の歌人。noteでは俳文をメインに掲載していく。

木下長嘯子BOT

安土桃山時代〜江戸時代の歌人。noteでは俳文をメインに掲載していく。

最近の記事

木下長嘯子「(西山)山家記」

木下長嘯子の随筆「山家記」のうち、西山時代に書かれたものです。テキストファイル形式及びPDFはこちらになります。ご自由にお使いください。

    • 木下長嘯子 「(東山)山家記」

       木下長嘯子の随筆「山家記」のうち、東山時代に書かれたものです。テキストファイル形式及びPDFはこちらになります。ご自由にお使いください。

      • 木下長嘯子「はちたゝき」原文

         青空文庫リーダー等で開けるテキストファイル形式及びPDFはこちらになります。ご自由にお使いください。 はちたゝき 木下長嘯子 藤井乙男(底本編集) いつより有ともしらぬふるきなりひさごの器、持佛の具に似たり。おのずから茶湯の水さしによろし。またはなをいけ、くだものをもる。一物三用にたる。ふたのうらにはことやうなる人がたあり。空也の遺弟とかいふなる。よりてこのものを、はちたゝきとなづく。いつも冬になれば、さむき霜夜のあけがた、なにごとかあらん、たかくのゝしりて大路をすぐる

        • 木下長嘯子「九州のみちの記」原文

           この作品は1592年、長嘯子が正月十五日に朝鮮出兵の先陣として京を出発し、四月初旬に名護屋に至るまでの記録です。なお、長嘯子は七月二十三日に大政所(秀吉の母)の病のため帰京しています。  青空文庫リーダー等で開けるテキストファイル形式及びPDFはこちらになります。ご自由にお使いください。 底本:「校注挙白集」藤井乙男著、文献書院 1930(昭和5)年 九州のみちの記 木下長嘯子 大相国もろこしかたむけさせ給はんとて、天正の末つかた、筑紫に御出有へきよし、事さたまりに

        木下長嘯子「(西山)山家記」

          木下長嘯子「むしのうた合」原文

           この作品は詠み手である二匹の虫が歌を作り、それを判者であるひきがえるが批評するという形式を取っています。  青空文庫リーダー等で開けるテキストファイル形式及びPDFはこちらになります。ご自由にお使いください。 底本:「木下長嘯子全集 第一巻」吉田幸一、古典文庫 昭和47年 とかくするほどに、やう/\秋もくれ、神無月のはじめ、木がらしのおとも、ふけゆくゆふべは、埋もれ火のあたりに、起きもせず寝もせぬ枕の上に、かけさむけき月さし入れ、あれたる宿は、むしの音きくを、とり所に

          木下長嘯子「むしのうた合」原文

          木下長嘯子「石枕記」原文

          青空文庫リーダー等で開けるテキストファイル形式及びPDFはこちらになります。ご自由にお使いください。 底本:「校注挙白集」藤井乙男著、文献書院 1930(昭和5)年 山の南はれたる所に、はなれたてるひとりの庵あり。鳥羽田の面の春の早苗、秋のほなみもかぞふばかりさやかに見わたされて、いとをかしければ、やがてゑぼうしさせて。鳥羽觀《テイウクワン》といはんとおもふ。よもかしらはふらじなどいひたはれて、目もはるに四方をみやれば、西に大江山、屏風を引ひろげてたてたらんやうなるに、か

          木下長嘯子「石枕記」原文

          あづまの道の記

           「あづまの道の記」は1590年の小田原征討の際の紀行文である。木下長嘯子は当時22歳であり、現存する散文としては最古のものである。2月28日の下向から3月22までの1か月間にわたる行軍の道中で訪れた名所旧跡などの様子をつづっている。 青空文庫リーダー等で開けるテキストファイル形式及びPDFはこちらになります。 きさらぎ二十日あまりのころほひ、みやこをいで、東におもむきけるに、人々なごり惜しみて、うちおくりはべりけるに、あふさかの関の清水のもとにて、いまは帰りねとはべりけ

          あづまの道の記

          松永貞徳「逍遊軒和歌」

          明けましておめでとうございます。昨日一月三日は松永貞徳の命日でした。「近世文芸資料 貞徳家集」より「逍遊軒和歌」を文字起こししました。この歌集は1593年前後(貞徳22歳、長嘯子24歳)ころの歌を集めており、成立もそのころであると推測されます。 ・「たちのゝしゝうとの」=木下長嘯子 ・「あすかゐとの」=飛鳥井雅春 ・「三てうとの」=正親町三条公仲

          松永貞徳「逍遊軒和歌」

          txtファイル置き場(随時更新)

           青空文庫形式なので各種ビューワーで縦書き表示などが可能です。また、以前noteに投稿した「うなゐ松」「さか衣」とは底本が異なることにご注意ください。  また、このページで配布しているテキストの底本はすべて1930年刊行「校註挙白集」です。編集者の著作権が切れているため、ご自由にお使いいただけます。 ・「きならしごろも」 1600年に亡くなった息子に関する随筆。 ・「はまのまさご」 1611年に亡くなった息子に関する随筆。 ・「うなゐ松」 1626年に亡くなった

          txtファイル置き場(随時更新)

          木下長嘯子「うなゑ松」原文

          やへ/\のおとうとに、三となつくめるは、のちすみける人の、みたりにあたれるなるへし。この君うまるへき月みちて、母おもくわつらふことありしかは、いかならん、もゝにひとつも、えいきとまらし。かたき命成けりとわひあへるに、思ひのほかたいらかにて、あと/\さへこゝちさはやかなれは、いとよし。うちつけことする女共は、いてやむつきの中より、おやに孝ありてもさしいて給へること、いひはやす。したしきかきりは、門楣のよろこひなときこゆ。とし月ふるまゝに、らうたく生たちて、ことし十七になりぬ、か

          木下長嘯子「うなゑ松」原文

          木下長嘯子「さか衣」(原文)

          山よ山。罪にはあらす。みやこちかくていきほひをへたつとしもなきこそ佗しけれ。宿よ宿。つみにはあらす。隣あしくて、萬にかしかましきこそわひしけれ。さるはよしのゝ奥のよふ子とりを、よすかにやすくもよほさるへく、青根かみねの苔の莛もたのもしう、岩ねのとことはに、かたしかむあらしもこゝろきよくおかしけれと、ほたしおほかる身には、あらましのほいたかひて、のそみとけぬそくちおしきや。いくその春秋をむかへて、かゝる谷の戸にはすみそめけむかし。門はさし入(る)より、道もなきまてしけりあへる、

          木下長嘯子「さか衣」(原文)