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【47エディターズ】別れと始まりの3月から「今」読んでほしい記事を紹介します

共同通信では、注目ニュースの背景や、知られていなかった秘話、身の回りの素朴な疑問などを深掘りしたインターネット向けの記事「47リポーターズ」を随時配信しています。

当コーナー【47エディターズ】では、現場の記者が書いた記事の最初の読者であり、その狙いや内容を精査し、時に議論を交わして編集を重ねたデスクが、3月に出した47リポーターズ計19本を2回に分けてご紹介します。


■ 犯罪を繰り返した58歳の知的障害者が「ぼく、やっぱり戻りたい」と語る支援施設 近隣は反対、行政は圧力…それでも受け入れ続けた

この記事で取り上げた男性と障害者施設のことは十数年ずっと取材してきました。犯罪をしてしまった人がその後をどう生きるのか、彼に居場所と出番は再び与えられるのか、という問いがありました。

答えはこの記事の中にあります。
記事は大きな反響がありましたが、多くは被害者が置き去りになっている、という批判です。記事のボリューム制限から加害男性にのみ焦点を当てましたが、施設は被害男児側とは誠実に向き合ってきました。詳しくは記事末尾に案内がある支援経過の報告集をご覧ください。地域生活に戻った男性本人自らの口からいつか「あの子のところに謝りに行きたい」との言葉が発せられる日が来ることを、支援者たちは心待ちにしている、と言っていました。私も同じ思いです。(真下)

*真下デスクは4月から福祉・教育業界で働いています。共同通信の記者としては、この記事が区切りの仕事となりました。

真下デスクの仕事についてはこちらも

以下、3本は真下デスク編集の記事です。

■ 「敵国の言葉なぜ学ぶの?」逆境の中でロシア語専攻の道を選んだ学生に聞いてみた ウクライナ侵攻開始時には高校生、周囲から冷たい反応も

神戸市外国語大のロシア学科を卒業した大阪社会部小島拓也記者が、後輩にインタビューし、真下デスクが編集した記事です。小島記者は大阪から積極的にウクライナ侵攻についての記事を発信してきました。5月からは外信部に異動します。

神戸市外大の金子百合子教授にはウクライナ侵攻直後に取材したことがあり、当時から批判的な言葉を向けられた学生の話は聞いていました。自分が在学していた6年前は、これほどまでロシアに批判的な風潮はなく、侵攻当時に高校2年生だった大学1年生がなぜロシア語を選び、どういう思いで学習に取り組んでいるのか卒業生1人として興味を持ちました。「彼らについて学び、知ることが戦争を終わらせる第一歩なんじゃないか」「日ロの架け橋になり両国の関係を発展させたい」。話を聞いた学生の姿勢は非常に前向きで、心強さを感じたくらいです。外交官や防衛省専門職、民間企業で戦後の復興支援など、それぞれが語ってくれた目標に向かって、頑張ってほしいです。(小島)

■ 「おそロシア」のイメージ、絵本で変えたい! ウクライナ侵攻下、日本人学者が「ひとり出版社」を立ち上げた理由とは? 1作目はロシア人とウクライナ避難民の交流から生まれた物語

こちらも大阪社会部小島拓也記者の記事(真下デスク編集)です。

取材のきっかけはSNSで出版社を立ち上げたという神戸市外国語大ロシア学科准教授の藤原潤子さんの投稿を見たことでした。研究者なのに、ひとり出版社?絵本?と疑問がありましたが、絵本に着目した背景には、出版社に作品を持ち込んでも断られてきた過去や、ソ連崩壊後にロシアの絵本翻訳が減っていた事情などがあり、取材をしながら点と点がつながっていく面白さがありました。1作目の「ぼくのとってもふつうのおうち」も数々の偶然が重なり生まれた作品です。多くの人に手に取ってもらい、家のある日常がいかに幸せで、当たり前ではないということを感じてほしいです。藤原さんの今後の作品にも注目です。(小島)

■ 「インバウンド増えてるのに航空便を増やせない」深刻な〝空の裏方〟の不足 「グラハン」の働く環境整備を

大阪社会部田中楓記者の記事です(真下デスク編集)。今は遊軍としてさまざまな取材に取り組むとともに、大阪支社のInstagramの発信も担っています。

2021年5月から1年間、関西空港の通信部に在籍していました。新型コロナウイルス禍のまっただ中にあり、空港内は閑散とし空き店舗が並ぶ風景が強烈に記憶に残ります。その後、産育休を経て昨年9月に復帰すると、程なくしてスイスポートジャパンと同社労組の対立が報じられました。加えて政府が掲げる「2030年訪日客数6千万人」という高い目標…。4年ぶりに訪れた関空は利用客で溢れ、滑走路には国内外の航空機が待機していました。その全てが安全に就航するには、グランドハンドリングの存在が不可欠です。どのポジションにあっても大変な業務ですが、スタッフはひとつひとつの仕事を丁寧にこなし、また企業も労働環境の改善のため様々なチャレンジを試みています。そんな“空の裏方”の姿をより多くの人に知ってほしいという思いで取材してきました。(田中)

■ 刑務所の前で「出待ち」を毎朝続けるひとりの男性、何をしている? 「刑務官はいい顔をしないが、やめられない」同行して分かった理由と覚悟

一度服役した人が更生するために大切なことは、安定した生活の基盤を持つこと。身寄りがなかったり、服役中に周囲の人との関係が切れたりすると、困窮して再犯をするしかなくなる。言われれば分かりますが、そのために体を張って実践できる人はなかなかいないと思います。

そんな人を見つけ出し、密着した大阪社会部の武田惇志記者の取材には感銘を受けました。武田記者はこれまでも、市井にいる興味深い人を見つけ出し、詳しく話を聞き出して記事で表現する優れた仕事を何度もしています。今回の記事も、非常に多くの人に読まれました。いい仕事でした。(斉藤)

この記事の主人公である松浦さんとは、とある宴席で知り合った。その場で聞きかじっただけでも彼の話には興味深いものがあったが、2度目に会った時にほぼ毎朝刑務所で出待ちしていると聞き、脱帽した。脱いだ帽子は風に乗って飛び、追いかけると言葉が散って記事になった。(武田)

■ 「もう限界です」残業207時間、100日休みなし…医師は26歳で命を絶った 上司は 「俺は年5日しか休んでいない」と豪語 医者の「働き方改革」は可能か

若い医師の労働環境の過酷さを描いた、大阪社会部の禹誠美記者の記事です。もともと新聞用に900字程度でまとめられていた原稿を大幅に加筆して仕立てました。

医師は過労の末に亡くなっているため、当時どのような思いだったのかを知ることはできません。禹記者は、母親から見た生前の息子の様子を詳しく聞いてくれました。時系列で表現することで、彼の置かれていた環境を浮き彫りにできたのではないかと思います。

この記事は非常に多くの人に読まれました。「医師という特殊な業界の他人事」ではなく、自分たちや、子どもの身にも起こりうる「自分事」と捉えられたからだと思います。(斉藤)

■ 「兵庫県警はあまりに腐っている」泣いて訴えた機動隊員は、24歳でなぜ死んだのか パワハラを認めさせるまで8年半、両親の長すぎる闘い

警察官になった自慢の息子が、なぜ遺書を残して亡くなったのか。原因が上司のパワハラにあることを明らかにした遺族が、それを警察に認めさせるまでの闘いを神戸支局の力丸将之記者が記録しました。

著名な事件であり、警察がパワハラを認めて両親と和解した際は各社がニュースとして報じましたが、その数日後に配信されたこの記事がとびぬけてよく読まれていました。その理由は、この記事が単なるニュースではなく、生前の息子の様子や両親の8年半の苦悩まで書き込んだ物語になっていたためだと考えます。記者が両親の思いを十分に聞き、取材の蓄積があったからこそできたと思いました。(斉藤)

■ 「いまだに教義の影響から抜け出せない」山上被告の元に届く、宗教2世たちからの手紙 にじむ苦悩とトラウマ、共感も…読んだ被告も気にかける

安倍晋三元首相銃撃事件から1年半がたちました。今回の記事は、起訴された山上徹也被告の元に「宗教2世」の人たちから多くの手紙が届いていることをつかんだ奈良支局の大河原璃子記者が、昨年12月に報じたものを大幅に加筆し、トラウマから抜け出せない宗教2世の苦悩をさらに掘り下げたものです。取材から出稿まで数カ月をかけ、2世のリアルに迫った昨年12月のニュースは、山上被告の近況への関心の高さもあり、驚くほど多くのコメントが付きました。今回も読み応えのある内容ですので、多くの人に届いてほしいと思っています。(鶴田)

■ 「野良犬がうろつく廃虚」が徳島一のにぎわいエリアに。倉庫街を変貌させたNPOの原点 構想から10年、県の協力を得て規制緩和

徳島市の寂れた倉庫街が洗練されたストリートに生まれ変わるまでの物語です。立役者は東京からUターンした中年男性。10年の歳月をかけて困難を乗り越えた道程を、25歳の伊藤美優記者(徳島支局)が丹念に取材しました。人口減少まっしぐらの地方にあって、大勢の人が集まる場所は重要です。地域存続の鍵を握ると言っても大げさではないでしょう。しかし行政も民間もお金がありません。大都市に比べると人材も不足しています。ないない尽くしの状況でどうやってにぎわいを創り出すのか。この記事にそのエッセンスが詰まっています。(浜谷)


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