「教育理念は残したい」来春廃止の少年院で教官に聞きました-松山学園座談会【後編】
非行少年の中には、過去の経験から大人に対する不信感を強く持つ人も多くいます。一番身近な存在であるはずの親や家族から虐待を受けた人、学校でのイジメを経験した人、信頼していた大人から裏切られた人。
非行の背景をつぶさにみていくと、一人一人に汲むべき事情があるのも事実です。
そのような少年らにとって、少年院の教官が初めて自分を受け入れてくれた大人だったというケースも少なくありません。
法務教官はどのような思いで施設に入ってきた少年と接しているのでしょうか。教官になった経緯から、仕事に対する思いまでを聞きました。
<座談会の前編はこちら↓>
(聞き手=熊木ひと美、山口裕太郎、広川隆秀)
◆教官のプロフィール
◆報道機関が少年院の中に入る
(率直に共同通信の記事はどうでしたか。)
栁井 記事の最後で、「彼らが社会に戻るとき、温かく受け入れる社会であってほしい」とありました。
これは私たちが望んでいることでもあり、そういう部分を書いてもらえました。
また熊本大学の教授から、少年院が減ることで遠方の少年たちの面会の機会が減りかねないという指摘もありました。私たちが心配していることでもあります。
それから、生きづらさを抱えた子どもたちが増えているのも事実で、細かいサポートが必要だということは、教官として実感するところです。
大森 私の経験上、松山学園が長期間に渡って取材を受けたのも、また少年の生活自体を追った記事というのも初めてでした。
最後の最後で松山学園のことを記事にしてもらえて、ありがたかったです。
(記事を書いた一人として、密着させてもらった少年にも記事を読んでもらえたらなと思っています。立石さん、少年は読んでくれていると思いますか。)
立石 どうでしょうかね。そこまでリサーチはしていないです。今のところ、少年から反応があったということは聞いていないです。
(一般的に仮退院した後は、少年との関わりはどうなるのでしょうか。)
大森 2015年6月に改正少年院法が施工され、出院した後も専用ダイヤル*を通じて相談を受けられるようになりました。
仕事が決まったことや結婚したという報告もあれば、また警察のお世話になりそうな危ない状況にいますといった相談もあります。
制度ができたおかげで、出てからも少年が希望すれば関わりを持てるようになりました。実際に少年院まで尋ねてきてくれた人もいます。
(普段、一般の人が少年院の中に入ることはもちろんのこと、報道機関が少年院の中に入って取材をするのはイレギュラーなことだと思います。取材を受けることへの抵抗はありましたか。)
真鍋 不用意なことは言えないので、危ないなという気持ちもありました。ただ、自分がやっている仕事を伝える機会でもあり、少年が変わっていく様子も記事に書いてあったので、自分のやっていることを少し誇らしくも思えました。
栁井 インタビューを受けるのは苦手なのですが、上司からの命令だったので(笑)。
でも、少年院のイメージは暗くて怖いといったネガティブなものが多いのではないでしょうか。法務教官は全国で2000人余りの希有な職業です。
そういった職業があることと、少年院での教育を正しく知ってもらうためには、取材で実際の姿を見てもらうのが良いのではないかと思いました。
この仕事のことを認知してもらって、少年の矯正教育に尽力する人が少しでも増えてもらえたらと思います。
大森 矯正は昔から閉ざされた世界でした。
我々の世界はマイナーなのに対して、警察官や自衛隊のことは頻繁に報道されています。我々の仕事は一切ドラマ化とかはないのです。
やはり世間の人に知ってもらうには、報道で情報発信してもらうことが必要だと思います。
(次長の立石さんは広報対応する立場でもありました。報道機関とやり取りをするのは大変だったなど、どのような感想を持ちましたか。)
立石 僕は法務教官になる前、報道機関の記者として4年間働いていました。そのことがようやく役に立ちましたね。
◆なぜ法務教官に?
(立石さんはもともと記者だったということですが、みなさんはどうして法務教官になったのでしょうか。)
立石 やっぱりそこは気になりますよね。
僕は大学で心理学を学んでいました。学んでいたことをどうにか生かせる仕事がないかなと思っていて、専門性のある公務員、例えば家庭裁判所の調査官とかです。
そういった公務員試験を記者になった後も継続して受け続けていて、運良く法務教官として採用してもらえました。
大森 たまたま採用の看板を見て、受けたら受かりました。ただそれだけです(笑)。
栁井 記事的には熱い思いがあれば良いのでしょうけど、そうではなく軽い気持ちで何となく受けました(笑)。
ただ、40年近く勤務して、やりがいのある仕事だと感じています。
今の自分があるのは、この仕事のおかげだと思っています。
真鍋 大学で社会福祉学を専攻していました。その中で、子どもたちと関わる仕事をしたいと思うようになり、児童自立支援施設などを考えました。大学の先生にも相談すると、法務教官の存在を教えてくれ、目指すことに決めました。
◆刑務所と少年院の違い
(大森さんは刑務所での勤務経験もあるとのことでした。少年院と刑務所の違いは感じますか。)
大森 全く違います。
刑務所は刑を執行する場所。今は改善指導をするといった教育を重んじているところもありますが、とはいえやはり刑を受ける場所です。
少年院みたいに、教官と在院者がするような会話も制限されます。雰囲気も大きく違います。
(共同通信が密着した少年は「少年院に入って良かった」と取材に答えてくれました。大森さんと栁井さんは大ベテランの教官になるかと思いますが、これまでの教官生活でうまくいったこと、反対にうまくいかなかったといった経験はありますか。)
大森 あの少年は私の長い経験の中で特別です。
松山学園は短期処遇ということもあり、非行性の進んでいない少年を収容するという特徴があります。その中でも彼はとても素直で、私の長い経験の中でもめったにいないような子でした。
少年の中には大人への不信感から、反発する子も当然います。時間をかけて苦労しながら接しても、なかなか響かない子もいれば、牙をむいてくる少年もいるというのが現実です。それでも何とか社会に返してあげたいという気持ちで関わっています。
嫌われてもぶつかっていけば、最後は人間だから分かってもらえる時がくるのではないか。そういう思いでやっています。
栁井 少年院を仮退院したら保護観察になります。保護観察の結果は少年院にも通知が来ます。
無事に保護観察期間を終了した、他の少年院に行った、または亡くなってしまったという子もいました。
良い報告が来れば当然嬉しいです。過去に、保護観察が終わった少年から電話があって、結婚するという報告をしてくれたことがありました。その後、彼のお母さんからも「ありがとうございます」と言ってもらえました。
これは本当に嬉しかった。
でも逆に、少年院での成績が良く社会に戻ったのにすぐに再非行してしまって、別の少年院に行ったと聞くこともあります。がっくりすると同時に、自分の指導が至らなかったのだと反省することもあります。
◆開放的な処遇の意義
(松山学園が閉鎖することを惜しむ声もあります。松山学園で働く職員として、どのような思いでしょうか。)
立石 施設の役割が終わってしまうのは残念ですし、もっとできたこともあったのではないかと思うこともあります。
松山学園の閉鎖後は、四国の少年が少年院送致になった場合、通常は香川の四国少年院に収容されることになります。我々が実践してきた開放的な処遇といった意思を汲んでもらえるのか不安もあります。
一方で、施設数が減っているのは非行少年が減っているということでもあり、世の中的には良い傾向とも言え、やむを得ない部分もあります。
自分の中でも色々な感情が入り交じっています。
大森 ここは、私が法務教官になって初めて配属された場所です。私を育ててくれた施設で、悲しい思いが強いです。
けれど、最後のなくなるところを見届けられるのは嬉しいとも思います。
非行少年が減っていることは良いことではあるけれど、多くの教官の努力を結集した施設であり、歴史を積んできました。
やっぱり悲しいですね。
栁井 残念この上ないです。ただ、惜しんでもらえる声が聞けるということは、きちんと役割を果たせていたということなのかなと思います。
やれることはやりきりました。
真鍋 残念だなという思いです。松山学園で培ってきたノウハウ、「松山学園イズム」と言えばいいでしょうか。それを次、自分が勤務する施設で生かしていきたいです。
(松山学園の特徴として、施設外での活動を積極的に取り入れた開放的な処遇があります。開放処遇に関わる上でのやりがい、また難しさについて教えてください。)
真鍋 保安面を確保する難しさがあります。大きい扉や塀の中に閉じ込めるといった、設備で縛る方が職員として安心感はあります。
ただ、松山学園はそうではなく、職員から少年への働きかけが、保安面を担保することに通じます。
閉鎖的な空間だと、少年は息苦しさを感じるのに対し、開放的な空間だと精神的な余裕も生まれ、自分のやってしまったことや今後のことに思いを巡らせやすいのではないでしょうか。
個人の考えではありますが、良い環境であったと思います。
栁井 保安と教育の両立は二律背反する問題だと言われます。開放的な処遇を行うには、教官と少年たちの信頼関係が欠かせません。
少年たちも、職員が保安上のリスクを背負っているということを分かってくれているのだと思います。
「先生たちは自分を信用してくれている」という思いが、より強い信頼関係を生むのだと思います。
施設運営上、難しい判断だったと思いますが、開放的な処遇に携われて嬉しかったですし、そういった処遇をできたのが誇らしいです。
私たち職員には、松山学園は教育施設なのだという自負がありました。
大森 開放的な処遇は本当にリスクを背負います。過去には院外教育といって、少年一人で外に出してということもやっていました。
少年を信頼しているからこそ、こういった教育ができます。少年にとっても信頼されているという気持ちを持ってもらうことができ、良い勉強にもなると思います。
機能が移る四国少年院にもノウハウは伝えているので、開放的な処遇を継続してほしいです。
(最後に立石さんに開放的な処遇の意義についてお伺いしたいと思います。)
立石 開放的な処遇はこれからも生き残らなければならない処遇方法です。開放処遇が響く少年が確実にいる。この事実は見逃せません。
四国少年院には、「松山学園イズム」をしっかり受け取ってほしいなと思います。
松山学園の先生方は、短い期間だけれども、少年の懐に入って信頼関係を気付くことがとても上手です。これは松山学園という施設に、そういった職員集団になるよう育ててもらったからということかもしれません。
閉鎖が進むのは短期処遇の少年院で、開放的な処遇が実践できる場所が減っていってしまうことはやむを得ないかもしれません。
しかし、継続して少年に期待し、関わっていくことができれば、変われる少年がいる。そのことを社会の人にも理解してもらいたいです。
<共同通信が配信した記事と動画はこちら↓>
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