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きっと誰かが覚えている 記憶に残る生きた証 ー 「ある行旅死亡人の物語」(11/30出版)著者インタビュー【後編】

共同通信・大阪社会部の記者2人が、兵庫県尼崎市で亡くなった身元不明の高齢女性について取材し、その謎めいた人生をたどった記事が先月、「ある行旅死亡人こうりょしぼうにんの物語」として書籍化されました。

今回の note は筆者の伊藤記者と武田記者に聞くインタビューの後編です。2人は何を考えて、どう記事を書いたのか。名もなき個人の人生を報道することの意味や、公開に至るまでの葛藤かっとう、読者に伝えたかったこと。それぞれの思いを語ってもらいました(聞き手= note 担当・山本)。
※インタビューは書籍の刊行前に行いました。

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■ 公開直後からネットで反響

――今年2月に配信した2本のネット記事はtwitterなどで話題になり、共同通信の記事を掲載している47NEWSのほか、配信先の各種ポータルサイトでもPVを伸ばし、非常に良く読まれました。大きな反響を得た理由はどこにあったと思いますか?

武田 記事で取り上げた女性は、謎めいた所が非常に多くて、行旅死亡人の中でもかなり特殊なケースです。でも、彼女の人生に垣間かいま見える「孤独さ」や「人に言えない秘密」には、ある種の普遍性があるんだろうと思います。記事に寄せられたコメントでも「自分の身に置き換えて読んだ」という声が結構多かったのは、それだけ「人は誰しも孤独で、秘密を抱えて生きている」というところに共感する人が多かったのかなと思います。

伊藤 私は彼女の生涯を追ううちに「行旅死亡人」と一口に言っても、いろいろな人生があるんだなと改めて感じました。そもそも一般的には行旅死亡人という言葉すら知られていないと思うんですけど、当然その一人一人に固有の人生がある。「一人で亡くなるなんて、かわいそう」というだけじゃなくて、きっと楽しい時も幸せな時もあったんだろうと。そういう気付きが読者にも伝わったんだとしたら、うれしいなと思います。

■ 心動かされた写真の中の笑顔

伊藤記者(左)と武田記者(右)

――「名もなき一般人」の生涯を長文で取り上げたという意味でも異色の記事になりました。これは報道すべき内容なのかどうか、迷う部分もあったと思いますが、その辺りはどう考えたんでしょうか?

伊藤 私は取材開始後、比較的早い段階で女性の血縁者が見つかったこともあって、当初からなにがしか記事は書けるだろうと思っていました。といっても、その時に想像していたのは「ある行旅死亡人の身元がこんな取材で判明しました」というような短い記事ですけど。最終的に大きな後押しになったのは、ご遺族から記事を書くことの了承をもらえたことかな。

武田 まあ遺族といっても、その人が故人の意思をどこまで代弁できるのかという問題はあるんですけどね。とりわけ今回取材したのは人生の大部分を親族と交流せずに生きてきた方ですから、そこは難しい部分だと思います。僕自身は記事化をためらっていた時期がありました。当初はデスクも乗り気じゃなかったし、そもそも取材を始めた頃は調査にかかる費用も手弁当で「これは仕事なのか、個人的な人助けなのか」と、良く分からない感じでやってましたし。身元が分かった時点で、何か一仕事やり終えたような気になっちゃって。

――それでも、なお「記事にしよう」と思ったのはなぜですか?

武田 ためらいがある一方で、彼女について分かることは、調べ尽くしたという確信もあったんですよ。今生きている人の中で、最も彼女のことを考えているのは自分たちだろうと。写真で見た若い頃の彼女が夢にまで出てくるくらい、その頃は毎日彼女のことを考え続けていました。そこまで考え、調べ尽くしたというのが、記事化の大前提にあります。それが最低限。そういう心境に至らなければ書けなかったと思います。

写真の持つ力も大きいと思います。遺品の写真がなかったら、多分ここまでやらなかった。女性が亡くなった部屋にはなぜかベビーベッドがあって、中に古いぬいぐるみが残されてたんですが、遺品にはそのぬいぐるみを抱いてほほえんでいる彼女の写真もあったんです。それを見ていると、何か胸に迫るものがあったんですよね。この時、なぜ彼女は笑ってたんだろうとか、当時は幸せだったのかもしれないけど、その後に何かあったんだろうかとか。そういう写真の訴求力そきゅうりょくに動かされたところはあります。

■ プライバシーと生きた痕跡

――読者から寄せられた意見には「亡くなった方のプライバシーをどう考えるのか」という指摘や、「そっとしておくべきだ」という批判もありました。

武田 批判的な意見は率直に受け止めるしかないと思います。僕らも読者の100%とは言わなくとも、できるだけ多くの人に「読んで良かった」と思ってもらいたい。そういう気持ちで書いたので「ちょっと違うんじゃないの」という指摘については、しっかり考えたいと思います。

伊藤 「そっとしておいてほしい」という考え方は当然あると思います。私も記事を書くに当たって、自分や自分の家族の身に同じようなことが起きて、報道されることになったらどう思うだろうかと考えたんですけど、それに対する自分なりの答えは「書き方、扱い方による」ということでした。ゴシップ記事にされるのは嫌だけど、きちんと故人のことを尊重して書いてくれるなら、抵抗はないというか、受け入れられるなと。だから今回の記事を書く上でも、その点は気を付けたつもりです。

武田 あと、最後までずっと頭を離れなかったのは「いま僕たちが書かないと、彼女が生きてきた痕跡こんせきは永遠に闇の中に消えてしまうんじゃないか」という思いですね。記事の公開後、僕の家族や知人が「ディズニーの『リメンバー・ミー』みたいだね」って言ってたんですが、確かにその通りだなと思いました。「リメンバー・ミー」は死者の国を描いたアニメですけど、そこには一つのルールがあって、生者の国でその人のことを覚えている人がいなくなると、死者の国にもいられなくなり「2度目の死」を迎えることになっています。

僕らが取材した女性もこのまま忘れ去られてしまったら、もう二度と、誰も思い出さなくなるんじゃないか。それで良いんだろうかという考えが常に頭の中にありました。

取材してみて分かったことですが、幼なじみや昔の同僚に話を聴いたら、皆さん彼女のことを結構覚えてるんですよ。お話を伺ったのは高齢の方ばかりなんですけど、名前を聞けば思い出すし、彼女についての記憶はちゃんとある。資料に名前もあって、痕跡も残っている。だったら取材でその話を見聞きした以上、記者としては記事にしなきゃいけないんじゃないか。もっと言えば、彼女のストーリーを通じて「どんな人でも誰かの記憶には残っている。覚えている人がいる」ということを伝えるべきではないか。最終的にはそういう思いで書きました。

■ 匿名化する社会の中で実名を書く理由

――記事や書籍の中では、女性自身の名前はもちろん、多くの方が実名で出てきます。実名にこだわった理由はなんですか?

武田 選択肢としては、表現をぼかして個人が特定できないようにする手法もありますよね。でもそれでは読者に伝えたいことの10分の1も伝わらなかったと思います。僕は写真に写る彼女の姿とか、本当の名前とか、そういう具体的な事実によって心を動かされました。今回の取材はある意味、匿名とくめいで亡くなった方の固有性を回復していく作業だったわけですが、僕はその過程を読者と共有したかったのでできる限り具体的に書きました。

一歩引いて今の社会を見てみると、匿名であることによって自由になれる部分ってあるじゃないですか。社会と距離を置いて生きたいという人もいるし、その気持ちも分かる。だけど、匿名性というのは人間の想像力を奪ってしまう。この国には数万人の行方不明者がいるんですけど、名前すら分からなければ、その一人一人の人生を思い浮かべることはほぼ不可能ですよね。逆説的ですけど、僕らはそういう社会に生きているんだということを改めて実感した取材でもありました。

――私も今回の記事を読んで初めて、行旅死亡人として官報に載る方が年間600~700人もいることを知りました。2人が取材した女性のように身元が判明するケースはどれくらいあるんでしょうか。

伊藤 取材で身元が分かり、遺族のもとへ帰っていくことなんてことは、めったにないと思います。でも、今回やってみて、他にも家族が見つかる人って意外といるんじゃないかという風にも思いました。行政や警察がどこまで調査しているのかな、本当に調べ尽くしているのかなという疑問も感じました。身元が分からない人たちが帰るべきところへたどり着けるよう、何かもう少しできることがあるんじゃないかという気はします。

■ 読者に伝えたいこと

――最後に、この記事や書籍を読んだ方に伝えたいこと、「行間に込めた思い」みたいなものがあれば教えてください。

武田 ネットで公開した2本の記事と今回出版した書籍は、同じ取材を基にしているんだけど、僕としては全くの別物っていう意識でまとめています。人の死ってどこかしらミステリアスなところがあるわけで、普通は読者もそこに関心を持ちますよね。だから、ネット記事の方は「女性は何者なのか」という「謎」を軸とするストーリーになってます。

でも書籍の方はもっと色々な捉え方をしてほしくて、女性以外の登場人物にも、それぞれの背景事情があることを示唆しさする内容を盛り込みました。取材の中で実感したんですけど、アパートの大家さんにも、女性の昔の職場の同僚にも、故郷の幼なじみにも、今に至るまでに各々の人生の物語があるんですよ。誰もが紆余曲折うよきょくせつを経て、色々な事情を抱えながら生きている。平凡な人生なんてない。

さっき、匿名社会の中では想像力が奪われると言いましたが、これは生きている人についてもそうです。そこにいるのは生身の人間で、一人一人に生活がある。この本を読んでくれた方には、そういう他者への想像力を持ってほしいなという気持ちで書きました。

伊藤 私は女性が幸せな人生を送っていたのかどうかは分からないけど、写真や家に残されたものを見ると、やっぱり最後に一人で亡くなったのは寂しかったんじゃないかと思うんです。人はいつか亡くなるわけで、誰もが行旅死亡人になる可能性がある。そのことをもっと知ってほしいというか、自分事として考えてほしいなと思います。

そうしたら、周りの人とのつながりを大切にしようとか、今この瞬間をもっと丁寧に生きようっていう風に考えられるんじゃないかと思います。読んだ方にそういう気持ちになっていただければうれしいです。


伊藤記者(左)と武田記者(右)

伊藤 亜衣(いとう・あい) 1990年生まれ、愛知県出身。2016年入社。青森支局を経て大阪社会部で大阪府警を担当。

武田 惇志(たけだ・あつし) 1990年生まれ、愛知県出身。2015年入社。横浜、徳島支局を経て大阪社会部で司法、事件担当など。

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今回の取材については voicy でも伊藤記者と武田記者の解説番組を配信しています。ご試聴はコチラから↓