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愛する人とポカラ、さようなら

(2023年1月24日ーーーー日記)

どうして移動にエモーショナルは付きものなのだろう。


毎度毎度色んな感情でいっぱいになる。

名残惜しさ。寂しさ。
次の場所への期待と不安。
土地への感謝。
楽しかったなという、柔らかな記憶。



ただ今回は一際違う。
あまりにも長く、そして深く
この街を知りすぎてしまった。

愛してしまった。

久しぶりの恋だった。



全ての感情はこの街の風景と一緒にあった。
あまりに気持ちが動きすぎた。
街を離れる想像が全くできないまま
VISAを延長して丸々1ヶ月ポカラにいた。


彼がいなくなった後の街にも、
面影は消えることなく
少女のように突然泣きそうになり
いつまででも眺めていられるあの湖の虜だった。



ポカラの優しい人々が本当に大好きだった。
必ず助けてくれる。


人を騙そうとか平気で出し抜こうとしてくる
人間もたくさんいる海外で、
「絶対に誰かが手を貸してくれる」
なんて思わせてくれる国はそうないだろう。

穏やかで、控えめで、
人を受け入れようとする懐深いネパール人。
素晴らしい国民性だ。
日本のことをたくさん考えさせられた。

旅中何度もハッとしたのだが、
もし前世というものがあるとしたら、
わたしは間違いなくネパールにいたはずだ。

物心がついた時から、ヒマラヤ地方のどこか
とても高い場所に住む山岳民族として暮らしているイメージが頭から離れず、
ヒマラヤがどこかもよく分からないまま、
呼ばれて続けていたのだ!

今回行ってみてから、まさしくそれが
ネパールの風景であったとわかった。

初めて腹の底から体がゾクゾクと震えた。
この先何度でも訪ねようと決めた。







たくさんのお気に入りのレストラン、
家族のような地元民。
お馴染みのワン達も。


とにかく全てが暖かだった。

わたしもこんな風に人間を愛したいと思った。



国籍、人種、言葉、宗教
1から10まで何もかもが違う人達を、
こうして愛で迎えられればと思った。



彼らの多くは、確かに裕福ではないのかもしれない。日本に出稼ぎに行くチャンスを心から求めていて、お国ならではの様々な困難を抱えていた。


「ネパールは日本より100倍文化が遅れている」と言った彼の言葉は、一生忘れないだろう。
賢く、優しい彼は、時々私に対して
ひどく苦しんでいた。

主に真っ黒な政治と警察による搾取と、
インド・中国の2つの大国に挟まれたヒマラヤ山脈という厳しい土地柄、なかなか整うことのないインフラ。

ヒマラヤ山脈麓の肥沃な土地なはずであるが、
水はとても貴重だった。
外国人旅行者が集まる大きな街でも、上下水道が足りていないところがまだまだあって、50年モノのオンボロ給水車で水を持ってきていた。

お湯は大抵ソーラーパネル蓄熱で沸かす。
真冬だったのでなかなかお湯が安定して出ず、
晴れた日の昼間に少しずつシャワーを浴びた。
彼の家は風呂無し長屋、かろうじて外に付いていた木の小屋共同シャワーは真水だった。

何故か、どこにもほとんど信号機がなかった。
日本にいた時には想像もつかないことばかりだ。


しかし、彼らはお金に執着しない。

人のつながりを大切にする。

彼らは愛を知っている。
それが全てだった。
彼らにとっても、私にとっても。

私も、あなたたちのように人を愛する人になる。教えてくれてありがとう。



今度は絶対に嫌な思いしないように
暖かい時期に来るよ。
シャワーが水だとか、電気がよく止まるとか、
今のバイタリティがないともう乗り切れない気がするからね。


きっとこの地の甘やかさが生涯忘れられない。
忘れたくない。
それは派手な記憶ではないが、
私の心には確実に染み込んでいる。






🎵はじまりの日 ー iri

Love.

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