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道端の木の枝
道端に落ちている木の枝。
成蹊大学の正門から出て、欅並木を車道に向かって歩いている時、友達と話していたら大笑いされた事がある。
「ボッコすごい落ちてるね」
(枯れ枝がすごい落ちてるね)
「?ボッコ…?て、何?」
それでなくても春に入学し、訛っていると言われていたため、会話には気を付けていた。田舎が丸出しにならないように。
でもボッコは盲点でしょ。
昔の人よ…なぜ『こ』をつけた。なぜ、棒に『こ』をつけたのか。棒っこ。。
その場には、生まれも育ちも東京や埼玉、三重の子もいたが…皆に笑われた。
それ以来、道端の枝を見るたびに思い出す。そして、心の中でグッと構えるようになった。何に対してかは分からないが、たぶん反射的に「ボッコ!」と言わないようにキープしているのだと思う。
今、結婚し子どもが生まれた。上の子は4歳の女の子。外遊びが大好きだ。教えてもいないのに、娘は「ボッコ、ボッコ…あ、ボッコ見つけたよーー!」
言いまくっているではないか!
北海道にも地域によって色々訛りはあるが、函館のヒトも室蘭のヒトも旭川のヒトも帯広のヒトも『ボッコ』は共通な様だ。
周りのヒト達が言う度に、大学時代の赤面が思い出される。
でも、
娘が言う度に嬉しく感じるのも正直なところだ。