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計算も妥協も野心もない、ホンモノにはかなわない。
沈んでいく夕陽から目が離せない。
GWに友人の住んでいる街を訪ねたときのこと。
一緒にドライブを楽しんだあと、ちょっと見て欲しいと言われ、そのまま瀬戸内海沿いの道を走りながら、彼女の地元へと案内された。
そのときに撮ったのがこちらの写真。
![](https://assets.st-note.com/img/1652418364471-JNhcN9oP8m.jpg?width=1200)
ド素人が撮ったスマホの写真でも、なんかよさげに撮れるくらいの絶景だった。
海上自衛隊の船や潜水艇がこんなにたくさん停めてあるところは珍しいらしいから、と連れてきてくれたのだが、夕陽に覆われたこの景色の中では、申し訳ないくらい船は目に入って来なかった。
海沿いの歩道には、三脚を立てて撮影している人や通りすがりの犬の散歩の途中の人、私のように夕陽を見守っている人など、たくさんの人が柵の周りにいた。顔だけは皆同じ方向を向いていた。
燃えているようなオレンジと赤から目が離せない。その上に続く、青とゆるやかに入り混じっている色合いの絶妙さにも心の奥が震えている。
夕陽を見ると、目に焼きつけて十分に味わいたいと思うのはなぜだろう。
今日1日のできごとがすべて吹っ飛んでしまうくらいに圧倒され、今日はこれを見るために友人と会ったんじゃないかと思うくらい、感動しているのはなぜだろう。
自然にはかなわないと思わせるもの。
太陽の光の放つエネルギーの強さと、
目の前にあるすべてのものを
オレンジと黒で包み込んでしまうほどの壮大さ。
空の青と混じり合ってつながっている、
ゆるやかなグラデーション。
太陽が水平線に沈んでいく、束の間のひとときに
それらが偶然重なってできあがる美しさ。
いろんな角度から五感をゆさぶってくる太陽は、ただただ自分の役割を果たしているだけ。光の強さを調節することなく、色合いを計算することなく、日の出や日の入りの時間を気まぐれに変えることなく。自分の持っているものを惜しみなく、皆に平等に毎日届けているだけなのだろう。
けれど、こんなにまっすぐに、心に響いてくるものにはかなわない。
このような、計算も妥協もないまま、本来の輝きにあふれているものをホンモノというのだろう。
ホンモノってなんだろう。
太陽のように、まっすぐに心に響いてくる人がいる。
電車が好きで、小学校に上がる前に路線図をすべて覚えてしまい、今は車両番号も把握し、スタンプラリー感覚で駅を順番に回っている知人の息子さん。
花の世話をしている姿や、花を見ている表情がとろけそうで、孫を見守るおばあちゃんのようになっている友人。
車の運転が好きで、操作性や乗り心地について説明してくれるのだけれど、よくわからないカタカナがたくさん出てきて、内容が全部頭の外に抜けてしまう友人の話。
有名人では、さかなクンや、気象予報士として天気コーナーに出演していたときの石原良純が話をしていたときに、同じものを感じる。
好きなものに夢中になっている人の姿。
そんな人たちの言葉は皆、よどみのない川のように豊かで、五線譜上に並んだ音符から、リズムや音が聴こえてくるかのように楽しい。
ホンモノが持つ魔法の力
好きなものに夢中になっているとき、「こんなオレすごいでしょ!」「これで注目されたい!」といった、計算や野心はない。ただただ夢中になってここまで来た勢いに飲み込まれ、シンプルな「好き」に圧倒されるのだ。
込められた思いがストレートに伝わると、私まで楽しくなってくる。
電車も、花も、車も、魚も、気象も、どれも特に好きなものじゃない。それなのに、なんか面白そう、私でも理解できるかも、共感できるかも、という気になってしまう。そのあと自分で調べてみるのだが、魔法が解けてしまったかのように、どれも面白さが消えてしまう。どこが面白かったんだろう。
ホンモノだけが持つ魔法の力。周りを巻き込んで、みんなで好きになってしまう力。私はホンモノが好きだ。ホンモノを持っている人が好きだ。