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介護私記 たぶん最後のベットの横で20230420-1

 私には98歳になる祖母がいる。その祖母が昨日から食事も水も口にしなくなってしまった。体は痩せ細り手足は拘縮して介護ベットの背を起こす度に顔を苦痛に歪ませている。身体的にも弱っているが同時に認知症も患っており、おそらく孫の私のこともわからないと思う。
 1年前までは、杖をつきながらも歩けていた。もっとも少し長い距離はすぐに車椅子に座らせてしまったが。それでも外出が好きだったみたいだ。体にかかる負担を考えるとあまり遠くには行けないので、近所の大型スーパーに買い物に行くことが多かった。その帰り道、マクドナルドのマックシェイクを美味いねぇと言いながら飲んでいる姿を今も思い出す。
 2022年6月に我々家族の不注意で祖母を熱中症にしてしまった。寒いだろうとかけた布団が暑すぎて体温調節が上手くいかず。朝気がつくと祖母の体は40度になっていた。幸いにも緊急搬送の後点滴による治療を受けるとすぐに元気になり。そのまま帰宅。だがそこから祖母の体は下り坂を転がり落ちるように悪くなっていった。背中には褥瘡が出来、隔週での通院が必要になった。この頃にはもう立てなくなり家の中でもベッドにいるか、車椅子に座っているか。毎朝私は起きると祖母の元に向かい脇の下手を回して車椅子に座らせ台所にある食卓まで祖母を運んだ。足が弱ると同時に手も弱るようで急に握力がなくなり、橋すら自分では持てなくなった。スプーンで食べれそうな食事、食べやすいよう柔らかいもの、お茶にはストロー。こんな状態でも車椅子には座れたので体調をみては、車で外に連れ出した。車で通り過ぎるだけでみれる花の名所、夜景、海岸線。
 10月通院も難しくなり、自宅にて訪問看護と介護ベットが入った。背中にできた褥瘡の処置、立てなくなってからはトイレはオムツに頼っていたため私たちは夜寝る間にその交換に手を焼いていたので本当に助かった。と同時に歩かなくなった足に水が溜まり大きく浮腫んでしまっていた。その浮腫んだ足に包帯を巻き外側から圧力をかけて少しでも体に吸収させる処置も増えてしまった。この包帯の交換が大変だった。
 11月30日朝、祖母が熱を出した。世間はコロナウイルス大流行。コロナ陽性。隔離が決まった。搬送される際最悪の事態になる可能性が高いことを説明された。なかなかなかなかショッキングだったが出来ることはない。祈るような気持ちだった。隔離生活が始まった。今まで毎日していた祖母を起こす作業、褥瘡の処置、オムツ交換、薬や軟膏の管理など大変だったことが一切なくなり心配の気持ちと同時に幸福感さえ感じてしまっていた。12月中旬祖母は無事耐えて戻ってきた。医者や看護師からも奇跡的だと言われてホッと胸を撫で下ろす。安心と日々の作業や処置が戻ってくると思うと複雑だった。

つづく
 

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