『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』|2025:映画の記録 vol.31
(前回はこちら)
はじめまして、京です。
いよいよ、2025年MCUの始動を飾る『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』。そんな公開前日はもちろんこの作品。(まぁ、映画じゃないけど。)
さっそく今日も1日↓
『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』
"継承の1作"
キャップへのリスペクトが並々ならぬ作品。
フェーズ4以降の1つテーマとしてある、作品でも言っていた"継承(レガシー)"とそこに伴う重責を1番感じられる作品。(回想も含め)安易にスティーブ・ロジャースを登場させないことで、存在とその喪失の大きさを実感させられる。
1番はやはり、彼の"盾"の重さ。
盾を持つ=キャプテン・アメリカを襲名することの何たるかを皆が知ってるから、一度はその盾を放棄したサムも、なんとかその盾に相応しい人物になろうと苦しむウォーカーも、それを認められないバッキーも全員の気持ちが理解できる
そうして、サムがキャプテン・アメリカを襲名したその瞬間。盾でも超人血清(スーパーパワー)でもなく、誰のためにどのように力を使うのかという、その志にこそヒーローの真髄があるのを再実感できる。
そんなキャラクターたちを1番気にかけられる、5話が大好き。ウォーカーの失墜(サム&バッキーとの戦いも切なくて良かった)、ついに語られたイザイアの過去の凄惨さ、サムが故郷で暮らす束の間の休息のシーンの温かさ、ドラマシリーズで積み上げてきたものが形になった気がする最高の1話。
とくにバッキーがサムに謝るシーンすごく好き。
キャップもバッキーも、サムをサムという個人の人格で捉えていたからこそ、そこに取り巻く因縁に気がつけなかったっていうのも、それに気づいたときに謝れるのもカッコいいなと思える。
ヒーローサイドだけでなく、ヴィランも魅力的。
(下で書いてるけど)突如自分たちの居場所を失った人たちの戦うフラッグ・スマッシャーズと、そのリーダーであるカーリー。
人々を率いるリーダーでいる一方で、サムの説得に心揺れたり、最後の戦いでやり返さないサムに感情的になったり、その最期も、時折年相応の一面を見せてくるのが切ない。
ただそんなメインヴィランを喰っちまうほどの名ヴィランたち。強大な力を憎み続けるジモも、やっぱり世界を許せないシャロンも説得力ありありで最高。最後にもれなく一人勝ちしていく、大人げのない徹底さ。
ヴィランではないけど、バレンティーナね。
フェーズ4以降、あちこちで登場しては作品とは違うとこでの目標のために動き続ける不気味な存在。いよいよ『サンダーボルツ』でお披露目かしら。
それと、MCU世界の解像度の高さ。
フェーズ4初期でありながら、インフィニティ・ウォーでの(スナップによる)被害への解像度が一番高い作品だと思っている。(他作品では茶化されがちだけど、実際は深刻な問題が起きていたりすることを実感できる。)
しかも、それを現在進行系で発生している難民(及び移民)問題と関連付ける巧みさ。突然、自分の居場所が自分の居場所でなくなったり、帰る場所のなくなったりというのが、現実世界で起きているという、(もちろん日本人も他人事ではないが)日本人には想像つきづらい事実。
もちろんそういった問題って、すぐに答えが出るわけでも、出していいわけでもないから、作品の中で明確なアンサーがあるわけではないけど、問題への関心・意識を持つきっかけになっただけでも素晴らしい作品だと思えた。(キャプテンの最後の演説だけでも観るべき)
あとは前にも書いたけど、キャプテン・アメリカのシリーズ作品は、対人格闘のアクションが多くて嬉しい。それも超人血清がキーアイテムになってるおかげで、現実離れしたスピードとパワーを感じられる最高のアクション。
まとめようと努力したけど、そりゃドラマは長くなるって。いよいよ明日は、ブレイブ・ニュー・ワールド!!かかってこい、2025MCU!!
バッキーとウォーカーそれとバルの登場する『サンダーボルツ』も楽しみだ。数日前に公開された予告編も良かった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
96日目