『Drucker for Survival 』第Ⅰ部
恭賀新年
あけましておめでとうございます。
看々臘月尽
この本の事を書こうと思ったいたら・・・はや新年
今日1月2日の書き始めにはこの本
良書は問いにあふれている。故に書と対話ができる。
この本も問いにあふれています。
第Ⅰ部
問われたときに対話ができるのか否かは自分自身が「能う力」を有しているのか否かです。
能う力がないと外的要因に頼らざるを得ない。
そして自己の能力がないと
・分かりやすい外的要因:数字、統計、方法
に逃げ込み思考停止を理解と誤魔化すか
・古い、役に立たない
に逃げ込み他責で誤魔化すか
しかなくなります。
古いことが役に立たないのなら、孔子、老子、荘子、聖書、ハムラビ法典等々はどれほど古いのでしょうか。
しかも、役に立たない/立つは、対象にはなく自己の内部にしか存在しない。
例えば、
私にポアンカレ予想解法の本をご恵投頂いても、私には「能う力」がないので役に<立たせる>ことはできません。
しかし、数学者ならとても役に立つ書なのでしょう。
この本は、『生き延びるためのドラッカー』というタイトル通り、本質的な問いから入ります。「古いのか?」と。コトラー先生の言を引用しながら。
問題はこの問い
昨年亡くなった半藤一利先生が生前「日本人のレベルが低下している。目標は自分たちで考えなきゃだめだ。どういう国にしたいのかを。」とおっしゃっていました。
問われた時に「もやもやを糧とすべきです」と井坂康先生はこの書で問いかけています。
この時代に最も必要とされているのは、もやもやを糧とする能力それを“Negative Capability”とイギリスのロマン派詩人ジョン・キーツは言いました。事実や理性に苛立つことなく、謎や疑問、不確実性に留まる特異な気質を意味します。
どうしたいのか。それを筋道(経)を考え抜き、それを営む。
ドラッカー先生が規範経営学の誉と言われる所以です。
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