未熟な自分を受け入れるのが経営の一歩目かもしれない
アジアで経営に携わるようになり、約6年間が経過しました。
3年間インドでの立上げ経営→シンガポールでの中大規模組織の経営と、種類の違う経営に携わる事が出来て現職には頭が上がりません。
前提として経営と偉そうな事を言ってますが、自己資金でもなく、外部資金調達もしていません、なので現地法人の社長は結局は経営ではなく、上級管理職に留まり、マネジメントの枠は大きく出ないと思います。
ただ、通常の管理職と比べた際の一番大きな違いは「意思決定の量」が異常に多い事。意思決定をしなくてもオペレーション回りますが、改善を試みるとその先には意思決定が無数にある、そんな茨の道でした。
特に直近3年間の多国籍、約100名の組織規模を経営マネージするのは、本当に本当に苦労の連続でありました。振り返りのいい機会として、この3年間の失敗と反省点を書き示していきたいと思います。
最初の大きな間違いは、インドで3年間経営の経験があるが故にその成功体験を引きずった事にあります。どんなビジネス書にも書いてあることなのですが、ゼロ→イチと大規模組織運営は、はっきり言ってゲームが違います。
「言っても、そんなに変わらないだろう」と高を括った事で、もうマイナスからスタートしていたように思います。
それもあり、おそらくこの3年間で私が出来た事は4つくらい。失敗したことは2,600くらいあって気が遠くなりそうなんですが、5つにまとめて紹介したいと思います。
くれぐれも、このNoteから何かを学ぼうとかは思わないで下さい。切なくも笑える、ハートウォーミングな話の類いです。
1、現場との過度なコミュニケ―ション
赴任当時、とにかく社員やマーケットからの声を集めるべきだと考えた私は、100名近い規模の社長でありながら末端の社員とコミュニケーションを多くとりました。直接会話をし、交流を深め、組織的な相談事項にも耳を傾けたし、積極的にアドバイスをしました。
当然、この行動そのものが悪かった訳ではなく、問題となったのは現場 > 管理職となってしまった事にあります。日本もそうですが、シンガポールはヒエラルキーを重んじる文化が強く、彼等をスキップして現場にアドバイスをする事を管理職は快く思っていませんでした。
これが妙な軋轢を生んでしまい、マネージャーとの信頼回復に時間を有する事となりました。
教訓1
コミュニケーションを最優先すべきは中間管理職であり、彼等の声にこそ強く耳を傾けるべき
2、制度変更の際の移行期間
人事制度の改革に着手をした際に、報奨制度の透明性を高めようと大きな制度変更を決断しました。
それまでは、おそらく意図的な意味をもってファジーな部分が作られていたのを、意図的な部分を排除し、明確な計算式を作る事で透明性を高める努力をしました。
報酬制度は、半期が変わるタイミングでしか変更が難しい事であったため、期を逃すと半年間先になります、それを嫌ってリードタイムを失ってでも強行をしました。
この変更は、社員にとっては誰がどう見ても公平性が高まる良い変更のはずでした。少し楽天的に構えていたのが裏目に出て、移行期間を作らなかったが故に、一時的に損を被る社員から大きな大きな反対がありました。
信じられないくらい鎮火に時間がかかり、精神的にもえぐられた反省事項です。
教訓2
制度変更は余裕をもって、移行期間を作り、説明機会も何度も持つべき
3、退職に心を痛め過ぎた
日本での経営と一番大きく異なるのが社員の退職頻度だと思います。
着任後、多くの体制変更、制度変更、組織変更を伴ったため、社員を多く失う事になりました。最初は仕方がない事だと飲みこんでいましたが、赴任から2年経過しても社員の離職は後を絶ちませんでした。
期待をかけた社員、特別な配慮をした社員など、予想に反した退職には大きく心を痛めたし、感情的になる部分がありました。
心を痛めた事そのものが悪かったわけではなく、あまりにもダメージが大きいため冷静さを欠き、本質的な問題解決に中々着手出来なかった事が反省点であったと思います。PDCAが大きく乱れ、仮説検証をせずに馬渡の策を講じ、結果的に意味あったのかな?と思うような施策も行い効果測定すら出来ていませんでした。
教訓3
どんな退職でも感情的にならず、粛々と改善案を試みる
4、組織戦略に属人性を持たせた
「お前ならやってくれると思う」そんな浅はかな希望を根拠に組織戦略の一部を決めました。冷静に考えれば悪手である事は分かるのに、藁をもすがる程に余裕を失っていたのかもしれません。
結果的に、教訓3の通り、社員の離職により組織が根底から崩れるという現象が起こります。一組織が崩れると、周りの組織が受け皿となる必要があり負担がかかるだけでなく、次の打ち手が後手に回ってしまい、パッチワーク化してしまう時期が散見されました。
グローバル会議で「社員は辞める前提で組織作りをすべきだ」と言ったら、本社から小言で怒られましたが、私は今でもそう思っています。
教訓4
組織戦略は経営戦略に基づいて建てるべきであり、属人的にしてはいけない
5、コミュニケーションを軽んじた
日本がハイコンテクスト文化である事を理解せず、同じように空気を読む事を求めました。私は曲がりなりにも帰国子女なので、英語でのコミュニケーションに不自由した事はほとんどありませんが、言語面でなく、文化面の違いを理解せずにコミュニケーションを進めたために、「え、そんな事は聞いてません」という事案が多く出ました。
管理職相手にしばしば起こるため、現場レベルでは勿論伝わっておらず、再度説明の機会を設けるなど、管理職の面子をも潰す事にもなってしまった。
また、期待を込めたつもりの激励の言葉でも、彼等の心理的安全を損なう事に繋がってしまう事もあった。言葉の認識は、国を跨ぐと異なるのだなと自分を恥じる事となった。
教訓5
英語でのコミュニケーションは、コンセンサス(共通認識)を何度も何度も確認する
こうして改めて記載をしてみると、もう顔から何でも出てきそうなくらい恥ずかしい反省点ばかり。3年間何やってたの?って呆れられても仕方がないレベルです。自ら大きな穴を掘りたい。
未熟だったと思います。でもそんな言葉で片づけてはいけない、何故なら私はトップなのだから。そんな虚勢を張り続けたが故に、多くの多くのスタッフに迷惑をかけてしまったように思います。
それでも、そんな私を信じて残ってくれた社員がたくさんいる。
勿論、去ってしまった社員にも大きく感謝はしているが、3年間を共にしてくれた仲間には心の底から御礼を言いたい。