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1-3 人を動かす説明(こころをつかむ診療術)

1-3 人を動かす説明

このNoteの目的などは下記リンク"はじめに"を参照してください。
今回は、心理や感情に焦点を当てた診療に関する「こころをつかむ診療術」の第3回。説明をする時、どのように伝えるのが良いかを考察します。

”はじめに”

https://note.com/kyf2919/n/nc00631e9b06f

1) 説明の重要性

診療上、説明という行為は避けては通れない道となっている。あらゆる行為は医療者から十分な説明を受け、患者が納得した上で同意するというインフォームド・コンセントが重要視され、今や当たり前の行為ともなっている。私も、患者自身が納得した上で、医療行為を進めるべきだという考えに同意する。一方で、実際診療していく上では、下記のような難しさを感じる時も多々ある。
1. 時間がかかる
まずはその疾患について説明し、病態、その人の状態を説明する。必要な検査や今後どのようなことが予期されるかを話す。その後、考えられる治療法を提示する。その治療法のメリット、デメリットを説明し、患者に選択してもらう。病院や診療科にもよると思うが、私の外来だと1時間に6人程度は診ないといけない場合がある。処方や事務作業を合わせて平均10分程度である。その限られた時間に全てを網羅的に、詳細に話すのは現実的に不可能と言ってもいい。
2. 医療者と患者の乖離
医師であれば6年以上医学を学び続けており、患者との知識の乖離は非常に大きい。例えば、腎症について透析リスクを話す時、私は腎臓という臓器がおしっこをつくる臓器であるというところから入る。腎臓という臓器がどういうものかを知らない人は意外に多い。腎症が進んでいる自分の患者に「腎臓ってなにをしているところですか?」と聞いても、「えーと、インスリンをつくるところですか?」と返ってくることも少なくない。人によって理解度・理解力はそれぞれであり、それに合わせて説明する必要がある。
3. 責任の所在
医療者が、ある選択肢が医学的に明らかに有益だと説明しても様々な理由で拒否される場合もある。そういう場合、患者には自己決定権があり、その権利に基づいて拒否しているわけだからやむを得ないとなる。カルテに、「〜のように説明したが、同意を得られず〜」記載し、ある種の責任逃れをしておくことになる。何かデメリットが生じた時、患者が自分で選んだことなので、となるわけである。医療訴訟のリスクもあり、記載自体は悪いことではない。しかし、それで終わることにより、医療者の多くは、自分の説明に問題がなかったかと反省することはほとんどない。説明した→患者が選んで、と淡白な構図しかカルテに残らない。
しかし、患者に同意を得られるかどうかは、説明の仕方にも大きく左右されると思う。患者がデメリット側を選ばないように、うまく説明できる方法もあるのではないか。説明の仕方について考察してみたい。

2) 損失回避のバイアス

スタチンという薬がある。LDLコレステロールを強力に下げ、たった1剤で心血管障害の発症率を数割も下げる。冠動脈疾患の既往を有する二次予防症例や、動脈硬化性疾患のハイリスク症例では、使われていない方がおかしいとも言える薬剤の1つである。一方で、横紋筋融解症という命に関わる副作用も広く知られている。もちろん起これば重篤であるが、悪い部分のみにスポットライトが当てられ、週刊誌やメディアなどで風評被害を受けたこともある。このスタチンを、患者に勧める場合、どのように説明するだろう?
「あなたのLDLコレステロールは高いですね。それを下げるために、スタチンという薬を出しておきますね。稀ですが、横紋筋融解症という命に関わる副作用が起きることがありますので、注意してくださいね。」
LDL-コレステロールが高いという病態と、治療法の提案。LDL-コレステロールを下げるメリットと、横紋筋融解症というデメリットを説明している。述べていることも事実ではある。網羅的にインフォームド・コンセントがされているわけだが、患者側の立場になるとどう感じるだろうか。怖いと思わないだろうか。横紋筋融解症って何?とならないだろうか。このような説明の仕方では、かえって飲みたくなくならないだろうか。
行動経済学の分野では「損失回避バイアス」というものがある(大竹文雄著、医療現場の行動経済学、東洋経済新報社)。多くの人は、リスクを嫌い、損失の少ない方を選ぶという嗜好性がある。コインを投げて表が出れば2万円もらえるが、裏が出れば10000円支払わなければならない。期待値を計算すると、+5000円になり、理論的には得をする。しかし、理論的に得をするとしても、実際にはこれをやりたがらない人が多い。それは、2万円もらえた時の嬉しさより1万円を失う時の悲しさが上回るということである。安全であるということが生存に有利だったためか、多くの人がこのような原理に従い、メリットがあるのを分かっていても損失の少ない方を選んでしまいがちである。薬剤の導入してもそうである。スタチンでコレステロールを下げられるメリットがあったとしても、そこに副作用というリスクがある以上、それを過大評価してしまう心理が人間には備わっているのである。

3) ポジティブな言い換え(フレーミング)

人の心理がそのように動くと分かった上で、どのように話せばいいのか。損失を強調した表現を避けるのである。それを行動経済学ではフレーミングというらしい。
スタチンの重篤な筋障害の発症率は0.08%(100万人中0.15人)と報告されている(厚生労働省、重篤副作用疾患別対応マニュアル 横紋筋融解症)。
A「このスタチンという薬は0.08%で重篤な筋肉の副作用がおきます」
B「このスタチンという薬は重篤な筋肉の副作用の報告はありますが、99.92%の人では問題ありません」
どちらの方が、"安心感"があるだろうか。事実としては同じことを言っている。Aでは飲みたくないと拒否する人も、Bの説明だと、飲むという人もいるだろう。
より言葉を尽くせば、数字のイメージをもっとつけることもできる。日本での交通事故で死亡する確率は1年で100万人中4人程度である(交通事故に遭う確率は約0.2%でそれよりもさらに大きい)。つまり重篤な副作用である横紋筋融解症をきたす確率は交通事故に遭って死ぬ確率よりも低いと言える。そのようなことを付け加えても良い。
ポジティブ・ネガティブ、どちらを強調するかで同じ事実もまるっきり変わるのである。
A「手術をした場合の死亡率は10%です。」
B「手術をした場合の生存率は90%です。」
同じ事実でも、言い方や伝え方によって与える印象は大きく変わってくる。

4) 数字の力

上のA, Bははじめ「稀ですが、横紋筋融解症という命に関わる副作用が起きることがありますので、注意してくださいね。」というセリフからもう一点大きく変わっている。数字を付け加えた部分である。「稀ですが」という言葉から何人くらいと思い浮かべるだろうか?100人中数名程度のイメージを思い浮かべる人がいてもいいような説明の仕方である。実際の発症率で計算すると、本当は100万人いて1人もいない(0.15人)程度しかないのである。与える印象がまるっきり変わってくる。
別の例を挙げると、メタボリック症候群という言葉が話題になっている。メタボリック症候群は、大まかにいうと肥満、高血圧症、脂質異常症、高血糖(糖尿病も含まれる)が複数ある状態(マルチリスク)である。なぜこれが重要かというと、この状態になると心血管障害のリスクが著明に高くなる。そして、こういう状態になっている人は非常に多い。肥満、高血圧、脂質異常症、高血糖のうち、3つ以上のリスクを持つ人は、リスクのない人に比べて10倍以上心血管障害のリスクが高いという報告もある(T Nakamura, et al. Jpn Circ J. 2001)。多くの人のイメージ以上の数字だと思う。
「血圧とコレステロールと血糖値が高いですね。このままでは心血管障害とか怖い病気のリスクが増えるので、治療をしていきましょう。」
「あなたは、血圧、コレステロール、血糖値、どれも高い状態ですね。過去の研究によると、これらが揃っている人は、何もない人に比べて10倍以上心血管障害という命に関わる病気のリスクが高いという報告があります。症状がなくてもそれくらい危険ということです。みんな治療していい状態をキープすることが、怖い病気の予防につながるので、これから治療してきましょう。」
数字が付け加わることにより、臨場感が湧き、イメージを持ちやすくなる。これから治療しなければならないという気持ちになるのではないだろうか。動脈硬化学会から出されている、動脈硬化性疾患発症予測・脂質管理目標設定アプリなどを用いれば、10年以内の心血管障害の発症率なども算出できる。そのようなものを用いるのも良いと思う。
逆に言えば、上のスタチンの例もそうだが、患者に説明するために必要な数字があれば、それを伝えられるような形で医療者は勉強を進めていく必要があると思う。

5) まとめ

丁寧に説明するとこれくらいにはなる。万が一の場合の対応法も付け加えると、安心感が増えるかもしれない。
「あなたのLDLコレステロールは高いですね。これは悪玉コレステロールといって、動脈硬化のもとになるものです。これが高い状態が続くと、心筋梗塞や脳梗塞などの重大な病気のもとになります。それを下げるために、スタチンという薬を飲むのが良いと思います。副作用として、横紋筋融解症という命に関わる副作用が起きることがありますが、99.92%の人は起こらないです。これは交通事故で命を落とすよりも少ない確率ということです。それよりも、あなたの今の状態では心筋梗塞などをきたすリスクの方が高く、薬を飲んでいた方のメリットが上回ると思います。万が一、筋肉が痛くなるとか、力が入らないとか、筋肉が壊れるとコーラ色のおしっこが出るのですが、そういうことがあれば、薬を飲むのをやめてご連絡ください。」
横紋筋融解症などの重篤な状態まではいかずとも、スタチン関連筋症状(SAMS)などはもう少し高頻度に見られる。スタチンの有害事象を例としていただけなので、詳述はしないが、「スタチン不耐に関する診療指針」などのガイドラインが対応の参考としていただければと思う。
説明が長くなると、外来の時間を要してしまうというのは勘違いである。実際には不十分な説明で患者が不安なまま、飲むか飲まないか、その押し問答をする方が時間はかかる。そして、普段から丁寧で分かりやすい説明を心がけることにより、患者は安心感が得られ、良好な信頼関係につながる。患者が説明を受け入れるか、拒むかは上のような説明の内容だけでなく、医師に対して信頼をそもそも置いているかということにも左右される。
患者に説明が義務的に求められる時代になってきているが、同じ事実の伝え方の正解というのは明らかになっていない。過度に不安を煽ることなく、患者(受け取る側)が分かりやすい説明の仕方はあらゆる分野において重要になってくると思われる。

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