正義は狂気になる
語りなので音楽でも流しながら
お読み頂ければ幸いです。
SNSに参加して何かを発信するとき
これを書きたいと思うこともあれば
ただキーボードを走らせるだけのこともある
奇麗な事を書けば嫌われない
それは解るのだけど
100%の正だとか100%の悪だとか
そんなものはありはしないし
人の心は正義に傾くときもあれば
どうしても見苦しい瞬間もある
自分には悪役に見える相手
でもそんな人にも仲間がいるわけで
Twitterをみてたら
人の悪口を言うやつはクズだ
だからお前は何処でも相手にされない
雑魚が!みたいな言葉
もっと言葉は攻撃的だったかな。
発言力のある人だからか
8000もイイネがついていた
発言は正論なのだけど
違和感を憶えてしまった。
同じじゃね?という感覚かな
俺なんてどんなにTwitterで
綺麗な言葉を並べても
イラスト以外はイイネは10も
しんどかったりする
正論を叫ぶ方は
悦を感じることもあるじゃない
それは危険だよね
どこのテレビアニメ世代だよって思う
相手にも生活があり人の和がある
それを慮ることもできないその思想は
想像力の欠如に見えてしまう。
心は一定で、ずっと正常ではなく
時に歪むこともある
そんなことは誰でも経験ある
今の俺が健全だとしても
その正義で今は心が疲れている
誰かを攻撃したくはない
それはイイネがつくかもだけど
そのイイネは誰かを深く傷つける
そういう一面を知っていると
真ん中でいられる気がするんだよな
正論って数になると暴力になり
その後とてつもなく頼もしい仲間になる
そんな可能性のあった人を
情け容赦なく遠ざける
気づけば周りにも人がいなくなる
正しい事をいっていてもさ
どこかで間違いの可能性も常に考える
そうしないとある日思い上がって
気づけば落日
いつ自分に不幸がくるか解らないし
その時、心が負けていたら
俺はズルい人にならない保証はあるか?
誰かを批判ばかりする人になる
その可能性は全然ある
本当の名将みたいな人は
相手の逃げ道を用意したうえで
戦うから犠牲が少ないし
最後は仲間が増えるのではないかな
今の調子の良し悪しの一点で
人を測ってはいけない
正論を吐く人も正論に傷つく人も
等しく同じような気がしてさ
もっと皆仲良くやろうよみたいな人が
一番強いんじゃね?
いいじゃない逃がしてやろうよって
なーにまた倒せばいい
それに仲間になるかもしれない
これが名将な気がするんだよね
ある程度は清濁併せ飲むことも必要よ
清いものはすんなり飲んで
濁りがあるものは濁ってんぞと言えて
なるべく心のキャパを広げておけば
人生が転んだ時でも
案外平均値でいられる気がする
SNSに限らず正義は一方で狂気を生む
それは歴史が証明している。