大人の意識で過ごしてた幼少期
私は幼い頃の記憶や感情を結構覚えている。
今の意識とあんまり変わらない子供だったが、『この世のルールが全然分からない』と漠然とした不安を抱え、何も知らない自分に毎日ドキドキしていた。
これは私の記憶では無いが、母が「あんたは、一歳半の時自分から”おしっこ”と言い出し、オムツが取れた。」と言っているので、恐らく姉を見てこの世のルールを理解したのだろう。
幼稚園に入る前(2歳)のある日、姉が私の知らない単語を使ったことに衝撃を受けた。『え?何それ何それ?何で私は知らないの?お願いだからもう一度その言葉を話して』という焦った気持ちになり、姉の話す言葉に全集中。その日私は【スリッパ】という言葉を覚えた。
同じく2歳頃、両親が目の前で怒鳴り合いの喧嘩を始めた。私は『お母さんを助けないと…でも怖い…間に飛び出ればいいのかな…やっぱり怖い…』と結局何も出来ず、動く事が出来なかった。(2歳児が床に座って見上げる、立った大人は異様にデカいし、声も大きく感じる)
ここで『お母さんを助けたかったのに何も出来なかった…』と泣きそうになった。
※日常によくある夫婦喧嘩で、二人は未だに仲良しです。
3歳、初めて幼稚園に登園した日は、パニックだった。姉と離れ、1人でこの世界に馴染まなければいけないなんて…。と、速攻で迷子になり、姉のクラスを探しまくった記憶がある。
幼稚園での発表会では、皆んながピアニカや、大太鼓等をやりたがる中、私は『自分の実力では、せいぜいカスタネットかトライアングルしか出来へんし!!他の楽器は無理無理!』と必死に祈り、無事希望通りのポジションについた。
また、買い物にお出掛けする日の朝、姉と喧嘩してたら、母「あーもう!うるさい!喧嘩するなら、もう今日の買い物は無し!」と怒られた事があった。
私は、『何でやねん!それとこれとは別の話やん!約束は約束、姉との喧嘩は別件!喧嘩止めるだけの話が何で前に約束した事までチャラになるわけ?感傷的に怒り過ぎやん!これは躾とは違う』と思っていたが、幼稚園ではボキャブラリーが無く、「なんでよー!いややー!うそつきー!」という言葉でしか伝える事が出来なかった。
伝えられないジレンマを感じ、『自分が大人になった時の為に、この感情は覚えておこう。子供の気持ちを聞く事なく、理不尽に怒っても意味がないんや。絶対にこんな大人にはならない』と心に誓った覚えがあるw
(だからこんなに覚えてるんかな…???)
時には、母の友達に笑顔で挨拶して懐いてみると、お菓子をくれることも分かり、オバちゃんを見ると多くを語らずニコッと笑い大人しく周りをうろついた ←おい。したたか過ぎへんかw
つまり何が言いたいかっつーと、子供は意外と分かってる。
世の中の仕組み等、幅広い知識と経験が無いだけで、中身は大人と大して変わらへん。
子供だからと舐めてたら、大人になった時に答え合わせされまっせー。