ごぼうチップス
それは居酒屋でのことだった。
高校時代の親友が結婚式を挙げて、二次会を終え、三次会の会場。駅近くのチェーン店。
彼女は偶然か運命か、わたしと出身の中学校が同じ人と結婚をし、
その旦那さんの友だちの何人かとも、わたしは既に面識があった。
久しぶりの再会に、どうでもいい会話とお酒を交わした。
たぶんおまかせ宴会コースみたいなもので、頼まずともツマミの類いが運ばれてきた。サラダとかフライドポテトとか唐揚げとか、たしかそういう種類のものでもうほとんど覚えていないのだけど、ひとつだけ鮮烈に記憶に残っているものがある。それがごぼうチップスだ。
それは、ほかのツマミとなんら変わりなく運ばれてきたから、わたし達もなんら気に留めることなく手を伸ばし、口に入れた。
なにこれ!?にっが!!
わたしが口を歪めるのが先だったか、同じ皿を囲んでいた親友花嫁と男子2人が「まっじぃ!!」と言うのが先だったか、それも覚えていない。
ただ、そのうち隣にいた男子が顔をしかめて口から吐き出したそれをごぼうチップスの入れられた大皿に投げ棄てるのを見て、若干思わずわたしは引いた。
いや、たしかに苦いけど。出すほどか?
出すにしても、そこに戻すなよ。
好き嫌いがほとんどなく、出されたもの(少なくても自分で頼んだものは)残さず綺麗に食べることが数少ない自分の長所だと思っているわたしは、その人の言動を見てそんな風に思った。
もうその皿には手をつけないことにしようと、その苦さと食感の悪さを知ったときにはすでに決めていたにも関わらず。
◇
何時間経った頃だろう。
気付いたら彼はわたしの真正面に座っていた。
そして、ふと二人きりになった瞬間
-実際は同じ部屋に十数名いたのだけど、そのときはだけは「二人きり」だった。ほかの皆は各々の会話やお酒に盛り上がっていたし、隣や斜め向かいにいた人たちも、トイレに行ったのか他の席にちょっかいを出しに行ったのか、とにかく「二人きり」の瞬間があったのだ-
彼はおもむろに、その皿に手を伸ばした。
わたしはさっきのことを思い出し、彼に
「それ、すっごい苦かったですよ!」と言った。
すごく苦いということを教えてあげなきゃ!という親切心もあっただろうけど、たぶんそれよりも「うぇ不味ぃ」という声をもう聞きたくなかったし、もっと言うと、目の前で深く知りもしない人のものを吐き出す姿はもう見たくない!と判断したからだと思う。
彼は、その黒くガサガサとした山からつまんだものを口に入れ、
「うん、苦い。でも食べられなくはない。」
と言うと、もう一つまみ口に入れた。
え!もう一口いった!
驚きながらもなんだか嬉しくなったわたしは気が付くと、
「え、結局それ、なんですか?ごぼう?」と訊いていた。
彼は「ごぼうだね」と答えた。
「ごぼうでしょ」と、突き放した言い方でもなく、
「ごぼうなんじゃない?」と、はてなを付けて返すでもなく、
「ごぼうにしても、なんでこんなに苦いんだ」と、
疑問なのか苛立ちなのかよく分からないものを足してよこすでもなく。
シンプルに。落ち着いた優しい言い方で。
どこか一人で納得している風な響きで。ただ一言。
どうして、そんな分かり切ったことを訊いたのか。
たぶん、無意識のうちにわたしは「試した」のだと思う。
それ、なんですか?ごぼうですか?と訊いて、
「そんなの見れば分かんじゃん」と答えたら、
「思いやりに欠ける人」。
「なんだろねーほんと美味しくないよねー」と答えたら、
「はっきりせず頼りのない人」。
「いや、てゆーか、ほんと苦いな!!」と言ったら、
「わたしの訊いたことに答えてくれない人」。
それか「人の話を聴いていない人」。
わたしの訊いたことには答えずに、
「休みの日は何してるの?」とか、
「彼氏とか、います??」なんて訊こうものなら、
「わたしのことはお構いなしの一方的な人」。
たぶん、そんな「瞬時の計算」がわたしの神経回路を駆け抜けて、
意図せず口を突いて出ていたのが、そんな陳腐な質問だった。
だけど、彼はそんなわたしの「陳腐な質問」に、
ただ「ごぼうだね」と一言で返した。
わたしはそれを聴いて、なんだか”すとん”と安心して、
ああ、もうこの人とは、これ以上話さなくても大丈夫。と思った。
これ以上、無理に会話を重ねる必要はない。
これ以上、無理にこの空間を盛り上げる必要もない。
これ以上、無理にこの人のことを訊ね調べる必要もない。
たぶん、わたしの中に蓄積されていた過去の会話記録にはない、
完ぺきな返答である。ということが、わたしには分かったのだと思う。
逆を言うとそれは、これまで出会った中で、
こんな風に、わたしの言ったことや訊いたこと話したいことについて、
過不足なく的確に正確に確実に答えてくれた人はいない。
ということだった。
10年以上の付き合いの親友、
血の繋がった妹そして親でさえ、
「わたしの投げ掛けた言葉」に対して、
ここまで正確に誠実に答えてくれたことは、一度としてなかった。
そのことを、わたし自身ずっと気付かずに生きていて、
だけど、彼とその「短くてどうでもいい会話」を交わした瞬間、その事実にはじめて気付き、
ああ、これがわたしの求めていた会話か、と解ったのだ。
それ、すっごく苦かったですよ!
うん、苦い。でも食べられなくはない。
そうだよね!苦い、けど、食べられなくはない、よね!
え、それって結局、なんですか?ごぼう?
ごぼうだね。
ごぼうか。
やっぱり、ごぼうでいいんだ。こんなに苦いけど。
こんなに苦くて、はっきり言って全然美味しくないごぼうチップスが飲み屋で出てくることもあるのか・・・
でも、ごぼう、なんだ。。。
わたしは、ごぼうチップスを噛みしめたときのガサガサとした苦さではなく、ごぼうチップス越しに交わしたほのかな甘みを、
いつまでもいつまでも味わっていた。