不登校。
不登校の原因てなんなんでしょう。
学校に行くことは正しいこと?
不登校はダメなこと?
不登校も一つの選択?
4年ほど前から
引きこもり支援や不登校児に対する支援を作業療法士の視点から行っています。
今日は不登校についてですが、昨年から行っている生活困窮者家庭の子の学習支援・生活支援の中で今日改めて考えたことというより悩んだことをツラツラ書きます。ほんと抽象的かつざっくりと出てきた感情を書きます。
内容がごちゃって整理できていないかもですが悪しからず。
現在私が関わっている2名の子。
1人は不登校
もう1人は不登校気味
この2週間で家庭では色々な事があり、不登校に更なる滑車がかかりました。
今日は現状について市の職員さんと共に親御さんと本人との面談を主に介入を行いました。
色々とお話しをする中で自分なりに考えましたがどうも整理はできなかった。
不登校になった原因は何なのか?
学校が嫌い?友達関係?勉強?
生活習慣?朝起きるのがつらい?ゲームが楽しい?
親はどう思っている?学校に行ってほしい?親はどんな関わりをしている?
市の職員は
「なんで学校にいかんのか?」「何を家でしよるんか?」「将来のことは考えてるんか?」などと問いかける。
「わからん」「めんどくさい」
この返答のみで会話は終わる。
何が正解で何が不正解なのか?
そんなことまで考えるくらいよくわからなくなりました。
「勉強なんかしてもどうもならん」
「将来?別になんも考えてない」
「めんどくさい」
うん、わからないこともない。
実際に自分も中学生の頃、全く同じことを思っていた。
社会として学校に行くことははたして正解なのか?正義なのか?
白黒はっきりさせるならあくまで個人的な意見は「行ってた方がいい」です。
理由としては、社会はそれを一つの基準にしているからです。
これは良くも悪くもあると思います。でも、現実基準にはなっている気がする。
正直な所、正解・不正解の二択で考えるべきではないんですよね。
学校に行くのがいい、不登校が悪いとかじゃなく。
自宅に帰る道中、悶々と考えていましたが、まずはこの子の生活を少しでも改善していくことが先手だなとモヤモヤしながらではありましたが落としどころにしました。
生活リズムの乱れ、整理整頓、日常生活動作といった生活をしていくための基本的な部分に立ち返る。
プラス環境因子にどのようにアプローチをしていくか。
この子のケースであれば母親という人的環境因子。
どの分野でも感じている環境因子の重要さ。
この家庭でも環境因子の影響が良くも悪くも不登校の連鎖に繋がっている。そしていずれこれらは貧困の連鎖に繋がる。必ず繋がる。
作業療法士として介入をしていることでこの子の将来を決めるかどうかはわからない。逆にこの子の将来を決める決定権はないわけで、決めるのはこの子なわけで。
どこかのタイミングで将来やこれからのことについて考えるタイミングは必ずくる。
その時に、これからの介入が一つでもその子が何かを自己決定していく際の材料になっていけばと思う。
それが今できる事かなと思う。
「不登校がどうだ」「学校に行くのがどうだ」ここばかりに縛られるのはなんだか違うというか違和感があるな。
来週はUNOでもするかな。
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