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お金に囚われて苦しい思いをしている人へ

ものの見方次第で、自分の世界は天国にでも地獄にでもなると思っている私なりの「無い」ことへのポジティブな考え方の一例です。
⚠️主は超絶ネガティブマンです

「無いことは幸せなことなのかもしれない」

これは、飛び降り自殺で脊椎は損傷。まともに歩けなくなって、お金も家も全て失い、見知らぬ土地で住み込みのアルバイトをし、切り詰めながら一人孤独に生活をしている時に思った言葉だ。お金がないからこそ小さいことにも幸せを感じられる、幸せのコスパがいい人になれると私は考えている。

美貌があっても、美人に産まれると傲慢になりやすい。美人は幸せになりにくいとも聞いたことがある。それは自分のことを見誤って「心」を磨くことをしないからじゃ無いだろうか。男は性欲の為なら嘘もつくし優しくもする。それなら最初から一番大事な「心」を見てくれるような外見の方がいいのではないか。

お金がないことも、お金があったら人は自分は特別だと勘違いしてしまうし、傲慢になってしまう。大金持ちになってもアイスで当たりが当たったとか小さなことで幸せを感じることができるんだろうか。お金がないからこそ、小さなことで幸せを感じることができるのではないだろうか。お金があると煩悩が生まれたり、夜飲みに行ったりキャバ嬢に入れ込んでしまったり、今世で罰を作るようなお金の使い方をしてしまうんじゃ無いだろうか。お金で人が変わるなんてこともある。

地位や名誉があると、傲慢になってしまうのではないだろうか。地位や名誉でチヤホヤされても、もし地位や名誉を失うと消えていく人たちなんだろう。人にもよると思うがそんなちっぽけな人間関係ばかりになるのは私だったら嫌だと思う。

無いことで内面を磨くことを人間は強く意識するようになるのではないだろうか、その結果心の底から満たされる様な人生を送れるのではないだろうか。

私は人間全員が天使だと思っていて

  • 「淫蕩」

  • 「金銭欲」

  • 「悲嘆(心痛)」

  • 「怒り」

  • 「アケーディア(嫌気、霊的怠惰)」

  • 「虚栄心(自惚れ)」

  • 「傲慢」

この七つの大罪を犯すことによって、人間は天使から悪魔になってしまうのだと思っている。欲をコントロールできない人間の先はただの破滅だ。この中でも「傲慢」は最も罪深く感じている。なぜなら、元々天使だったルシファーが堕天した原因は傲慢という罪を犯したからである。

ルシファーの堕天の理由は、「神になろうとした」「驕り高ぶった」ためであると、イザヤ書14章、エゼキエル書28章に書かれています。 こうして、ルシファーは堕落し、ヘブライ語で敵対者を意味する「サタン」と呼ばれるようになりました。

出所:イザヤ書14章、エゼキエル書28章

この物語は、人間に対しての警告ではなかろうかと私は強く思った。

子供に例えてみても考えてみた。シングルマザーの子供が我慢ができて優しく思いやりのある子が多いのはなぜだろうか?それは親が自分のために一生懸命頑張って働く姿や苦労している姿を目の当たりにして私がしっかりしなければと自らを成長させ、強く逞しくなったのではないだろうか。逆も然り。お金持ちの子供として生まれ悠々自適に何も苦労せず育った子供はどうだろうか?人の苦労がわかる人間には到底なれないだろう。苦労も内面も磨くこともしなかった人間が親も地位も名誉もお金もいざ全てを失った時に、一人で生きていけることは果たしてできるのだろうか。

この世界はいつ滅んでもおかしくはないし、お金の価値だっていつ失われるかもわからない。ビットコインができたりと少しづつではあるが変わりつつもある。世界滅亡論が本当に起きて手を取り合って生きていかなきゃならない日が来るかもしれない。もしそうなった場合に、傲慢で人の気持ちもわからない人は見捨てられて即死するのではないだろうか。そう思いだしたら、自分の子がもし生まれたら厳しく育てたいと思った。甘やかしは愛ではないと思ったからだ。

そう思ったのは身内に、生きていくお金をおじいちゃんから甘やかされ、そのお金を使って親戚は一歳働かず子供2人を育てあげ、いざお金を甘やかしてくれるおじいちゃんが亡くなってからは、働くこともできず生きていけなくなってしまっている。おじいちゃんは親戚のことを心配しながら亡くなったが、親戚を自分が死んだ後も甘やかすことができないのに、一人で生きていけないようにしたのは紛れもなくおじいちゃんだと思う。私はかなり無責任な行動だと思った。

人間の人格形成は子供の時に行われるという。私もその一人で大人になった頃情緒障害だと診断された。子供の頃「私は何もなくてもここにいてもいいんだ、私は何もなくても愛されているんだ」という安心感のもと育つと、情緒が安定するようになるというが私はその逆だった。「また捨てられたらどうしよう。気を遣って嫌わないように気をつけなければ。」といつも思っていた。そうならない様には愛を持って育てていきたいと思う。だけど、いくら愛してようといつまでも子供のそばにはいられない。私は子供よりも早く死んでしまうのだから。だからこそ、私がいついなくなっても、一人で立派に生きていけるように愛を持って厳しく育てていきたいなと思う。





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