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男女問わずの話

気づいたら居なくなってる、
って事もあるんだよな。
人って。

でもそれは自分が一方的に
甘え続けていて
相手を疲れさせたってだけなんだよな。
悪く言えば自分が相手から
「心を」搾り取った。

何も求めないことは
「無償の愛」ではあるけれど
その「与えられる愛」は
育まれなければ、末長いものにはならない。

それが例え恋愛対象であろうがなかろうが。

それを決定づけるのは
受け取ってる方の人間に
「愛情があるかどうか」なんだよな。

過去の自分を棚に上げないスタイルの
二階堂新太郎としては
めちゃくちゃ身に覚えがあって
「自分に軸がない」
人の目ばかりを気にして生きていた頃に
出逢った方々の中で
本当に良くしてもらった方々が
気づけば自分から離れていった経験があって

その当時は「人の為、人の為」と
人偏に為と書いて文字通り「"偽り"の善人」
だったなぁと
今の自分からは至極冷静になって
振り返ることの出来る過去がある中で

目の前の人から差し出される愛情
無条件のやさしさに対して
とても自惚れているだけで
ただただ人に対して失礼極まりない
雑な扱いや発言や意味不明な態度を
様々に取ってしまっていた自覚があって。

その過去の自分を知っているからこそ
今は逆に
"人を見る目"が以前にも増して
とても鮮明になった。

(昔の自分を見ている様な感覚)
とはよく言ったものだけれど
あれこれうまくいったつもりが
結局はことごとく何も残らず終いだった
という過去の自分と
重なる様に感じる方もいる。

ただ自分自身が内省した結果として
もうひとつ自分の中で明確な事がある。
それは
「僕から離れた人は皆、僕を馬鹿にしていた人」
という事実にも今は冷静に気づいている。

僕は小学校と中学校時代に1度ずつ、と
転校が多かった人生だったことで
人の顔色をうかがい場を和ませる
空気が読める悲劇的な子供
という時代を過ごした事で
兎に角、人から小馬鹿にされ
舐められる人間になってしまっていた。

デカい体なのに低姿勢で物腰が柔らかい。
大半の人からすれば
馬鹿にするには格好の餌食だろうな

未だに見た目の話をしてくる人が
たまにいるが
この時代にどうかしてるなと思う。

そして過去の僕に
近づいてきた人たちの多くは
どこかで僕を馬鹿にしている人が多かった。
人と人の間にある"敬意"というものが
大きく欠落していた。
何故それがわかるかと言えば
それは関わる中での発言や態度だったり
誘ってくる内容だったり
いくらでも感じ取れる事はある。

しかしそれは同時に
僕自身が僕自身をいつも見下して生きていた
生きる価値がないと思って生きていたからに
他ならなかった。

だから今となっては
またこの一年、さらに精神的な変化も遂げて
物心ついた時からの希死念慮も
今年に入ってからもう8ヶ月になるが
37年生きてきて
ほぼ初めてと言えるくらい
あの感覚が沸いてこない年を過ごしている。

別に生活は何も変わっていない。
むしろ昨年11月からつい5月終わりまで
半年強の期間は闘病しながら働いていて
様々な面で大きな困難を迎えたりもしていた。

そう考えると本当に靭い人になってきた。
今は不思議なほど穏やかだ。
これだけ社会的に困難な状況も多い中で
本当にありがたく、感謝に尽きる。

人として、男性女性問わず
好きな人というのは誰にでもいて
個人的に恋愛対象は女性だけど
男同士で友達としての愛情を感じる
好きな人というのも当然いる中で
互いが互いを人として想いあっている
という事を大前提として

「愛情を受け取り合う」
つまり
「ちゃんと受け取って、ちゃんと返す」

って事が大切だなと
つくづく改めておもう。

それをするつもりがないのなら
相手が誰でも受け取ってはいけないと。
ましてやそれが
"相手から見た自分が恋愛対象"であるならば
不用意に受け取ってはならないと。
いらぬ誤解を与えてしまわない様に
という
人としても、社会人としても、
当たり前の目線を持つ事は重要だと。

2024.08.09
二階堂 新太郎


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