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【2割は働かないように映るけど、その存在が仕事なのかな⁉️】
アドラー心理学は、
心理学ではない、
と言われているそうだ。
科学的でないコトが、
引っかかるそうだ。
そりゃ、そうだろう。
アドラーは、
ヒトを診て、ヒトを看て、ヒトを視て、
考えを深めていたのだから。
アドラーは、
こう考えてるんしゃないかな⁉️
心理学でも、
心理学でなくても、
哲学でも、
医学でも、
ヒトが幸せになれるなら、
何でもイイ、
と。
科学は、
後付けの美学だ。
思想や思考の前に、
科学は存在しない。
ヒトの前に、
科学があるなんて、
勘違いした科学者が、
勝手に捉えているだけだ。
『共同体感覚』
アドラーは、
自分を慕っていたモノたちからも、
理解されなくなった、
そうだ。
何、言ってんの⁉️
実際のところは、
分からない。
その当時に、
私は、
その場にいなかった。
でも、
その方が、
話が面白いから、
乗っかって進める。
私たちは、
必ず色々な共同体に所属して生きており、
生きていくには共同体は欠かすことができない。
そして、
その欠かせない共同体の中で生きている人間が、私的論理を中心に生きると、
共同体が成り立たない。
つまり、
自己の利益ばかり追い求める生き方は、
人間にとって不都合になる。
そこで、
アドラーは、
こんな考えを示した。
共同体の中では、
縦の関係ではなく、
横の関係として、
対人関係を捉えると良い。
これは、
難解だし、
実際的でない、
と、
反発が目に見える。
だって、
組織には、
リーダーがいるし、
年齢や経験で、
階層があるし。
横って言われても、
上下の関係に、
慣れ親しんでいる。
また、
アドラーは、
こうも言ってるらしい。
他者を敵ではなく、
仲間としてみることが大切で、
それによって自分の居場所が獲得でき、
仲間たちのために貢献しようと思え、
それによって幸福感を抱くことができる。
これが、
『共同体感覚』だそうだ。
何だか、
宗教的な響きのする、
素敵なコトバ。
でも、
科学的ではないコトは、
明らか。
心理学、
とは、
言えないね。
実社会でも、
その考えで生きるコトは、
非常に難しいのは、
明らかだ。
何かにつけ、
競争があり、
順位があり、
上下があり、
優劣がある。
だってね、
会社で、
業績に影響を与えるヒトは、
全体の2割で、
6割は何でもなく、
残りの2割はお荷物、
って、
証明されてるそうだ。
科学的に。
だったら、
横の関係者としてなんて、
みれないし、
仲間がサボってるように、
感じてしまう。
科学的に。
ここで、
働きアリの働かないアリの話を。
働きアリ集団には、
働かないアリが、
絶対に全体の2割ほど、
いるらしい。
私はアリになったコトがないので、
実際に体験はしていない。
正確にいうと、
その記憶はない、
だ。
だから、
ここは、
仕方ないけど、
自然科学の研究者を信じてみよう。
その2割を排除すると、
また、
別のアリが、
働かないアリとして、
働かなくなるそうだ。
えー、何で⁉️
そういうモノらしい。
その働かないアリは、
働いてないのかな⁉️
私は、こう考える。
働いてないように映るコトが、
その2割のアリの仕事なんだ。
どうしても動きたくなっても、
働いているように映ってはいけない。
それが、
その2割の役割で、
働き方であり、
働き”型”なんだ。
だとすると、
アドラーのコトバどおり、
上下ではなく、
横の関係も、
受け入れられるし、
働かないモノたちを、
自分の居場所のための貢献者と、
みなすコトができるのでは⁉️
たぶん、ムリ。
いや、
絶対にムリ。
ヒトは、
そんなに賢くないし、
自分のコトが誰よりもカワイイし、
『共同体感覚』なんて、
モテないよ。
働きアリにも、
アドラーにも、
学べないのが、
ヒトの、
愚かさで、
とてもカワイイところで、
愛おしいところ、
かな。
それでは。
【いつか、また、どこかで】