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ブッダの生涯⑻ 仏教教団の成立

・仏教教団の成立
ブッダの教え、即ち、仏教はブッダのさとりなしには成り立たない。この世界に具体的に仏教が誕生したのは『初転法輪』によってであると理解する必要がある。同時にブッダのさとりが五比丘によって共有されることによってブッダを中心とする修行者の集団が形成されることになった。つまり『初転法輪』によって仏教の集団化がスタートしたのであり、この時6人からなる仏教教団が成立したのである。この仏教教団をサンガと呼ぶ。こうして仏教にとって三本柱である『ブッダ(仏)』『ダルマ(法)』『サンガ(僧)』という三宝が成立したのである

ブッダと五比丘とで6人のサンガが成立したあと、次にブッダの教団のメンバーとなったのはヤサという青年であった。ブッダの教えに触れる機会を得て修行を行う道を選び出家してブッダの弟子となった。このようにして次第にサンガは拡大の一途を辿る。そしてサンガが一定の規模を誇る状態になったとき、ブッダは弟子たち対してブッダの教えを伝える『伝道の旅』へ出ることを宣言する。
これが『ブッダの伝道の宣言』であり35歳から80歳まで45年、ブッダは弟子たちとインド各地で伝道活動をする。その結果ブッダの元には多くの弟子たち(十大弟子)が集うようになった。その中でもシャーリプトラ、モッガッラーナは二代弟子として有名である。

・教団の拡大
出家修行者としての弟子が増えるだけでなく在家信者の数も増えていった。例えばマガダ国国王は仏教に帰依し、ブッダの擁護者となって竹林精舎という土地をブッダに寄進した。また、コーサラ国の豪商スダッタはコーサラ国の都であるサーヴァッティーの郊外にあるジェータヴァナを寄進した。
スダッタは身寄りのない人々に食事を施していたのでアナータピンディカとも呼ばれていた。その彼が精舎を寄進したので『祇園精舎』とよばれた。ブッダが度々説法をした場所で有名である

出家信者は当初男性ばかりだったが、ある時期にブッダの養母マハーパジャティー・ゴータミーが女性の出家修行者として認められることになる。ここから比丘尼(びくに)と呼ばれる女性修行者の集団が形成されるようになり「比丘サンガ」と「比丘尼サンガ」を形成する。
仏教教団の構成員は正式には比丘と比丘尼に限定されるがその周辺には見習いがいて、在家信者含めた7種類の人々が仏教教団に関わるものとなっていく。

①比丘=男性の出家修行者(サンガの正式メンバー)
②比丘尼=女性の出家修行者(サンガの正式メンバー)
③沙弥=男性の見習い(比丘の前)
④沙弥尼=女性の見習い(式叉摩那の前)
⑤式叉摩那=女性の見習い(比丘尼の前)
⑥優婆塞=男性の在家信者
⑦優婆夷=女性の在家信者

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