雑記

宣言が明けて、久しぶりに展示をしっかり見に行った。
インスタレーションの個展とコレクション展の2つの展示がやっていたんだけど、インスタレーションがあまりにも響かなかった。

否定ではなくて、なぜかを考えていた。
感覚が衰えてるのかな?
クオリティは恐ろしく高く、空間は高尚な感じになっていた。でも、なにかが違った。好きなインスタレーション作品を前にして頭の中でいつも起こる発見がなかった。

昔からもののクオリティと作品のクオリティというところで悩んできた。ものとしてのクオリティがなくても作品としてのクオリティは担保できると信じて来たけど、さすがにある程度のセンスは必要で、それがたとえば自分にはできないから諦めるというセンスでも重要なセンスだとわかっている。
いろんな人に認められて、重要な作品とされたこの作品群を前に、少し思いにふけった。ファンの数だけ、語られた数だけ有名になっていく。語るにたる魅力的な創作とは。

作り手は、作ることがなりわい。ものづくりは生きている実感を得る行為なのかな。そう、実感がほしいから作る。

日常ではあまりにも当事者で、悲しいほどただの一般大衆であるから、せめて創作の中でだけは客観的な視座でものを見ていたい。

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