悪い細胞

Qなぜここで働くのか。
Aお金が必要だから。
生きるには働かなければならないと思って働いている。

これはきっとベーシックな答え、しかし本音のところはみんな言わないですし、皆お金以外にも必要なものはあるのが本音のところでしょう。
私もきっと上記の答えを言うでしょうが、ほぼ思考停止した状態の時に言っていると思います。忙しくて、なんのためにやっているのかなんて考えている余裕がない。何も考えずにノルマをこなし、1週間、1ヶ月と過ぎていき、時間感覚が麻痺しているときならば。

では本音とは。お金の問題を除くと、本当は働くことに文字面以上の意味を見いだせないでいる自分がいる。文章ではいくらでも意味を書くことができる。しかし、本音とは違う気がする。
なかなかうまく言葉にはできないのですが、最近読んだ朝井リョウさんのインタビューに言い当てられた気がしたので、引用を交えて考えたことを備忘録として書き残しておきます。

私はものを作る作り手として、どこか社会に溶け込んで生きている状況がなければ、伝わるものを作れないのでは?と思ってきました。そのためにはどこか今までとは全く違う組織や環境に属するのは有効と思い、数年間全く関係のない場所で働いてきました。

そんな中で頭の片隅にいつも、今私が働いているこの仕事は私にとってなんの意味があるのかと悶々としながら働いていた部分があります。そのせいで、自分にとって価値がわからないものに対し、きっと何かあると思い込み、そこに無理やり意味を見出そうとするスパイラルに常にいる気がします。これが良い事なのか悪い事なのかもわからずに。

”自分自身のことを、会社組織のなかですごく悪い「異分子」だと思い、罪悪感を抱いていました。どこかで「本当に悪い細胞」になってしまう前に、離れなければならないな、とは思い続けていました。”

そう、何か別のことをしている自覚をしながら組織に属していると感じるこの感覚、共感していただける人は多いのでは。本来ならば、専門知識を身に着け、売上を上げるためにどうすればよいのか考えることに意欲や達成感を覚えるべきなのに。しかし一方で、作り手の時はもっとこの為に時間を裂き勉強すべきと叱咤激励を受けたり。。
そう、なかなか一途できれいな人間にはなれない。

”組織に疲れながらも、組織に内包する不誠実さに助けられている状態”

だましだまし働くことに疲れながらも、組織の中にいることで得られる安心感、一人じゃないから自分の仕事の全てまで責任を持たなくて良い楽さ、あとは、この経験がものを作るに大事な事になりうるかもしれないというあざとさ。そういったすべてをはらんだぬるま湯。
そういう不安定な場所に今いるのだと痛感します。

SNSやネット記事などで、典型的な作り手の順風満帆な生活を送っている人たちや、新しいフィールドで戦っている友人たちを見ると、ものすごく落ち込みます。今の自分がやっていることは価値がないのではないかと。
しかし、浅井さんのインタビューは、そうではないという結論で終わっています。

理想的な生き方をしている人の本を読んだ時、自分がそうじゃないことに必要以上に落ち込んで、自分には価値がない、とか、意味がないんじゃないか、とか、単純に繋げてしまうのが良くないなって思うんですよね。1+1=2じゃない心を受け止めてくれるのが小説だと私は思っています。

なぜ、私は美術に惹かれたか、というのを思い出してみると、学生時代、評価軸が1つしかないと思い込んでいた中で、逆に個人の中にだけ評価軸があると感じたのが、唯一美術でした。価値は自ら生み出せば良いものだと思わせてくれたところが気に入ったのだと思います。
SNS上の記事で落ち込んでいる自分が、昔のままの、評価を自分で下せない状態になってしまっている事に気づかせてくれる、そんな記事でした。

平成を生きた方ならば、ぜひ浅井さんのインタビューを読み漁っていただきたい。ものすごく、元気づけられます。

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